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2011年5月5日木曜日

「嫁いらず観音」

@@@やまねこ通信74号@@@


 『新日本紀行ふたたび』で、岡山・梶草地区の「嫁いらず観音」のことを知った。
 
 「嫁いらず」って、いったい何だろう。
 過疎の村には嫁のきてがなく、どこも結婚難である。
 さては嫁なしでもやって行ける道があったというのか?
 
 こんなことを思いながら見はじめる。
 「嫁いらず」とは、下の世話を受けて長患いすることなくぽっくり死ぬことを
 意味するという。
 「ぴんぴん生きてころりと死ぬ」、PPKと同じことらしい。


 「嫁いらず観音」にお参りすれば、その願いがかなう。
 ぽっくり寺ということだ。


 それにしても、やまねこを驚かせるのは、「嫁」という、家族の中の関係性、
 人物の役割をあらわす言葉が、「中風などで下の介護を受けること」、あるいは、
 「介護作業」を意味していることであった。
 「介護する人」が転じて、「介護」そのものを指すようになった。
 「嫁」とは脳卒中で寝たきりになった一家の高齢者の「介護装置」の名であった。


 嫁の手を煩わさず、楽に往生させてもらいたい。
 こう願う人々が、「嫁いらず観音」の参拝に多数、詰めかけていた。
 
 昭和51年(1976年)の『新日本紀行』を一部引用しながら、岡山・梶草地区の
 35年後の現在をあらためて訪問する内容だった。


 45年前の映像では、人ごみに混ざり、参拝にやって来た高齢の女性が質問に
 応えた。その静かな言葉が心に残った。


 「(お世話を)されたのですか?」
 「(舅姑の)ええ、二人とも、中風で、休んでられました。主人もやはり」
 「(お参りに見えるのは)大変ですね」
 「いいえ、ここに来られるだけでも有り難いと思います」


 他家から嫁いだ嫁は、毎日の農作業や家事のほかに、何度もの妊娠、出産
 育児をこなし、さらに舅姑ら高齢者の下の世話を引き受けながら、孫の世話を
 するのが当たり前であった時代が垣間見えた。
 それが終わった頃、自分が「嫁」を必要とする年になっている。
 
 話は変わるが、やまねこは地域の「認知症サポーター講座」に昨年参加し、
 大いに教わることがあった。
 訪問介護、訪問看護、訪問入浴介護、訪問リハビリテーション、
 夜間対応型訪問介護、通所介護、認知症対応型通所介護、グループホーム、
 デイケア、ショートステイ等々。


 現在、介護保険制度の下、十分とは言えなくても、書ききれぬほど多種にわたる
 介護の施設やサービスが地域で展開されている。


 それにしても、このすべての施設サービスが、「嫁」という名で呼ばれていたこと、
 実際、「嫁」一人の肩にかかっていた時代が、ほんの少し前にあったことを
 想像して、気の遠くなる思いがするのは、やまねこ一人ではないだろう。


 
 ところで、「嫁いらず観音」は、自分でお参りするばかりでなく、身につける下着を
 預けてお参りしてもらうだけでもご利益があった。
 「下着祈念」という。
 観光バスのガイドさんが、寝間着やパンツを大きなビニール袋に入れて、
 観音さまの前にお供えする。
 平安時代に行われた陰陽道の「方違え」を思わせる行事である。


 「嫁いらず観音」は、岡山県井原市大江町にある真言宗の寺院。
 正式名称は樋之尻観音(ひのしりかんのん)。
 瀬戸内三十三観音霊場21番札所でもあるという。
 http://www.ibarakankou.jp/data/DB016/DB016-S.html


 ところで、「嫁いらず観音」の門前町、大江町には、サポーター組織、
 奉賛会があった。
 地域の青年たちがその担い手だった。
 35年前、27歳だった男性が、現在会長を務めている。
 大工さんである男性は、同じ仕事についた息子に、奉賛会会長の職務を
 継いでほしいと考えている。
 仕事も忙しいだろうが、父は遠慮がちに息子に訴える。
 
 息子は躊躇している。
 多忙だからだろうか。


 これを見てやまねこは思った。
 どうして女たちに奉賛会を任せないのか。
 やまねこの地域の町内会も、男性が職務を手放そうとしない。
 二代、三代先の会長まで、もう決まっているという。


 ところが大工になった息子が引き受けにくい理由は、そればかりではなかった。
 仲間の若者たちが、仕事を求めて地域を離れてしまった。
 奉賛会の盛り上がりはとても期待できない。


 過疎の村には、根強い男性中心社会が残存している。
 若い世代、特に女たちが住みにくい社会。
 このことも、若者が村を離れる理由ではないのか。


 これを打ち破る女たちの活動は、まだこの地域に届いていないように見えた。

 うらおもて・やまねこでした。


  

4 件のコメント:

  1. 小学生の頃の担任の男先生が
    「家の女と書いてヨメという言葉は、女の人に対して大変失礼な言葉だ」とおっしゃって、
    嫁という呼び方に反感を持ちながら、嫁と呼ばれてきました
    嫁を字引で引いたら、息子の連れ合いとありました
    あるとき、親戚の葬儀で年下の義妹が、紹介しなくても良いのに
    アタシのことを「うちのお嫁さんです」と見知らぬ人に紹介しました
    “こちとら、おまえん所の嫁になった覚えはないワイ”と思い睨み付けてやりました
    紹介された人も、怪訝な?面持ちでした
    本家の義姉さんが「ねえさん言われ」と促させました~中略~
    姑の下の世話は、チッとだけ
    夫の下の世話もチョと
    父の下もチョッと
    舅は一晩で逝きました~死に方と死ぬ時期は自分で選べない

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  2. Tokiko.M ”・_・」 はん。
    コメントありがとう。
    小学校担任の男性教諭、進んでたね。
    1950年代の日本は戦前体制からの決別を追求していたことが分るような気がする。
    やまねこの小学校ではそのような目の覚める発言をする先生はいなかったと思う。気づかなかっただけかも。
    ところで富山では関西言葉の共通性として、妻のことを「嫁はん」と呼んでいたよね。「隣の嫁はん」。
    Tokiko.M ”・_・」はんの「嫁」役割の豊富、その後の活躍のパワーを思わせる。
    実はやまねこも「嫁」をした。
    祖母が91歳で亡くなる前、10日ほど。
    病気は何もなくて老衰だった。34年前のこと。

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  3. 「嫁いらず観音」私もみました。嫁の世話にならず往生したいんですよね。私は「嫁いらない観音」があれば+嫁来ないよーに..南無〜+デス。ナンでって、今時の若女が恐いんですよー。(母親はもとよりおばさんを馬鹿にしてる小娘が多くって生意気ー)息子の女友が嫁になったら出来れば会いたくない...あー愚痴になっちゃった。だから嫌われるかー。友達の娘が子を生んだんだけど母親になったら変わったねー子供は強力だね。ママを変えちゃうんだから?!     経済力も知力もついて強くなったのはいいけどほんとに女が強くナッルって何かって考えた方がいいんじゃない?顎上がってるもんね...(実は私の反省でもあります)強くなりゃいいんじゃなくて、賢くなれーといいたい。中にはそんな女性もみかけるけど...賢い!
    私の周りの同年の友人のおおかたは嫁の世話にならずに逝ける方法模索中...。というか目下の私の課題かなーーー。彼の地でじっとたたずむ「嫁いらず観音の」観音様は世の移り変わり、女の移り変わりをどー
    みてらっしゃるのか聞いてみたいです。

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  4. うらおもて・やまねこ2011年7月14日 12:48

    ゲゲゲ村の婆さん様
    コメント有難うございます。
    やまねこの母も、ゲゲゲ村婆さんと似通ったことを言っておりました。
    「子どもの世話にはなりたくない。ましてや嫁には」。

    やまねこの母は「嫁に来て」つまり結婚して32年間、姑と暮らしました。姑の世話を最後までした人が、こう語るのです。

    一般的に言って、人の世話にはなりたくないものです。それで済まされたら強者の生涯でしょう。
    こう思っても多くの場合、いつかは倒れる時が来る。

    その時のために、「嫁」のある人もない人も、公共の介護が受けられるのが一番だとやまねこは考えてます。
    「愛」とか「義理」の介在しない関わり。

    でも共に生きる者同士の連帯感が生まれるかもしれない。

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