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2011年5月10日火曜日

被災地での体験談

@@@やまねこ通信78号 @@@


被災地の様子は、毎日のように、メディアを通じて断片的に伝えられる。
親しい人を東北地方に持たないはやまねこは、直接に話を聞く機会がない。
けれど、現地で見舞いや視察に訪問した地域の友人たちから、現地の
事情を聞いた。


やまねこが10年来、親しく通っている理髪店にして美容院、Tの店の店主Tさんは、
仲間の理髪師ら数人とともに、南三陸町の避難所を訪問し、40人ほどの
髪を刈ってあげ、感謝されて帰ってきた。


順番に外に出てもらい、手早く髪を刈る。
水がないから、シャンプーどころか、手を洗うこともできない。
薄目のゴム手袋を多数用意してゆき、残りは置いてきた。


日帰りの予定だったから、暗くなるころにTさんは車で帰宅の途に着こうとした。
「わずかだけど」と、避難所の人々がお礼を差し出した。
冷えたおにぎり一個だった。
飯粒の芯が固く、歯ごたえがぽろぽろする握り飯一個が感謝のしるしだった。


「2か月たったんだよ。いまだに毎日、あんなものじゃなあ」
Tさんは、やまねこの髪を切りながら、甲高い声で嘆いた。
「寄付するなら、直接、困った人に届けるのが一番だ」


宙に浮いた日赤、中央募金会の寄付金のことを思って、Tさんは語った。
やまねこも同感である。
知人が困っているから援助する。
これが寄付の基本ではないか。


けれど援助する知人のいない多数の人々はどうしたらいいのか。
その場合、公的寄付金が満遍なく行き渡るべきである。
せっかく集まった寄付金を、早く分配してほしいものである。


今回の巨額の寄付金が明らかにしたのは、大きな善意と経済力を、
日本社会がもっていたという事実である。
しかし同時に明らかにしたのは、それを分配する現実処理能力が欠如して
いたということである。
金はたくさんある。だが、使い道が決められない。
いつから日本の社会はこうなったのだろう。


3月末に視察に行ってきた男性市議のMさんは、興奮を抑えられぬ様子で
ことばをほとばしらせ、茫然とした眼差しでとめどなく語った。
物品が行き渡らない事情を幾つも伝えた後、Mさんはある避難所の話をした。


避難所のある地域の人々のための遺体安置所が設けられた。
親族や親しい人々の遺体を、そこに行って探さねばならない。
日がたっており、気温も上昇している。
だが安置所は、避難所から20キロ離れていた。

けれど間をつなぐ車がない。
Mさんは、やまねこに語って聞かせながら、涙が抑えられなくなった。
「70代、80代の人たちが、安置所まで20キロ、毎日歩いて通うんですよ」

終戦の日の9か月前に生まれたやまねこ、このような話を聞いたことは、生まれて
このかた一度もなかった。


うらおもて・やまねこでした。

2 件のコメント:

  1. ワタシは中学時代仲良しだったK美子さんが、あの震災で亡くなったことをインターネット検索で知って一ヵ月半
    やまねこさんの髪結いさんが、ボランテアで被災地に行ってこられたんですね
    >>>宙に浮いた日赤、中央募金会の寄付金
    集めるだけじゃ意味無いじゃん
    とりあえず、割り勘方式で分けること出来ないのだろうか?

    なのに募るほうは、募金を呼びかけ続けている
    大概の人は大なり小なり寄付したでしょうに
    しない人は、何ぼ叫んでもしないでしょう~
    「1ッになろう~」って叫んでいるけど、別に1ッにならんでも良いから
    丼勘定で良いから分なよ~足りなくなったらまた募れば~あたし間違ってますか?、

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  2. そうか、そうか。
    震災で親しい友だちが亡くなったこと、聞いたよね。

    一月半ほど、募金を樽漬けにしたあと、ようやく一部だけでも分配しようと国務長官が発言した。

    Tokiko.M ”・_・」 はんの言う通りだよ。
    足りなくなったらまた、集めればいいんだ。
    日赤、中央募金会が公正である限り、幾らでも集まるとやまねこ確信している。

    「1つになろう」と叫ぶ人たち、いったい、本人は何者のつもりなんだろうね。

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