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2011年5月15日日曜日

上原美優の自殺と、被災地での「悲しみの封印」

@@@ やまねこ通信80@@@

  タレント上原美優の自殺
  精神医学者の野田正彰氏「悲しみの抑圧」

 上原美優(24)という女性タレントが、12日午前2時ごろ、
 目黒区中央町のマンションの自室で首をつっているのを訪れた
 知人が発見した。
 上原さんは病院に運ばれたが死亡した。室内に遺書のようなメモが
 あり、警視庁目黒署は状況から自殺とみている。
 上原美優は鹿児島・種子島出身。
 10人兄弟の末っ子という「大家族育ちの貧乏タレント」として、
 バラエティー番組などに出演していた」という。

 実はやまねこはこのタレントのことを知らなかった。
 へえ~、種子島出身なのか。特異な経歴をタレント稼業に役立てる
 ことがなかったとしたら残念だったな、と思う。

 テレビのワイドショーで大きく取り上げていた。

 「あんなに明るかったのに」

 タレント仲間は、上原美優の死が意外であること、
 気の毒であることを強調している。

 なんども繰り返される上原美優の「明るさ」の強調を聞いて、
 やまねこの頭に、ある疑問がよぎった。

 「明るい」人ということで、タレント仲間は上原美優が
 「良いひと」だったと語っているのではないか。

 「明るい人」=「良い人」との等式が、ここには無意識のうちに
 成り立ち、逆に、
 「暗いひと」=「良くないひと」「可愛そうなひと」との等式が、
  隠蔽されているのではないだろうか。 


 テレビで上原美優のブログが紹介されていた。
 インターネットで見つけた記事を次にペーストしよう。

 
 「今日の空嫌いだった― ねぇ!皆さん リアルに私、
  恋愛が出来ないーーー恋多き女だった私が、、恋の仕方も、
  恋愛の仕方も、リアルにわかんなくなってる。
  てか完全焦ってるな私。だって今すぐフジテレビの廊下を
  めっさ叫びながら走り回りたいもん。

  私の周りはどんどんみんなHAPPYloveになって
  美優も嬉しいけどそうなんだぁって冷静保ってるけど本当の
  心の美優 ヤバいヤバいヤバい
  ヤバい うらやましーーと叫びたいんよ。
 「イヤ、皆さん今日の上原さんおかしいです。てか、最近気づいた
  前はね、てか昔はね、ハーってloveなため息ついてたの、。。
  でも、ハー疲れたぁってのため息だもん。
  好きな人がいると、幸せすぎて本当にご飯が喉を通らなくて空飛
  びたい気分でも今は、ご飯を食べてる時が幸せで時間があれば
  常に食べてる。
  リアル太って空も飛べない 早く結婚したいのにまぢ焦るーー
  汗って感じの上原なので、アドバイス求む。リアルに。美優」



 心理カウンセラーの女性がテレビで語った。


 「きっと「鬱」だったんでしょう。
 「疲れた」「焦る」という表現は危険信号です。
  誰か相談相手がいなかったんでしょうか。親族でも恋人でも」。

   
 一見したところ、結婚願望が失恋で破綻し、絶望して自殺したとの
 シナリオと読みとれるかもしれない。自殺未遂の前歴もあった模様。

 
 しかしやまねこは疑問符を呈したい。
 これだけで人が自殺するだろうか。
 何か難しい事情をかかえていたのではないだろうか。  

 それより「あんなに明るかったのに」と口をそろえて評される人格の
 ありようっていったい、何だろう。
 どうしてそんなに常に「明るく」振る舞っていたのか。

 タレントという職業の性質からして、「落ち込み」「暗い」顔をした
 ままでいることが許されなかったのではないのか。

 テレビのバラエティ番組は、ほとんど「躁状態」の世界である。
 背景の壁には、明色である、黄色、ピンク色、薄緑色がそれぞれ
 蛍光色でちかちか光り、音声も騒々しい。
 3分に一回、げらげら大笑いしなくてはならない。

 出演したタレントは「躁状態」の演技を強制されている。
 タレントとは、情緒の持ち方において自由が許されない職業では
 ないか。
 
 いや、タレントばかりではない。

 われわれの住む社会では、職業のほとんどにおいて「明るさ」
 が強制されているのではないか。

 就職面接の基本は、「明るさ」の印象付けではないか。
 あかるく、ハキハキした態度が職場では強制される。

 
 「明るいひと」や「暗いひと」がいるのではない。
 人は誰でも、「明るい面」と「暗い面」の両方を持っている。

 「明るさ」も「暗さ」も、人が誰しももっている、内面の混沌の
  表層的現れにすぎない。
 「明るい」だけと見える人が、仮にいたとしても、その人の重層的な
  内面は誰にも分らない。  

 上原美優には、悲しみを打ち明ける女ともだちがいなかったのだろうか。
 友だちと、悲しみを共有し、思いっきり、「暗い」思いにふける
 時間や場所がなかったのだろうか。

 

 小学校下級生の頃、「ほとんど喋らない子ども」だったやまねこ、
 親がクラス担任と面談する行事が何よりも嫌だった。
 いつも同じことを言われていた。
 「もっと、明るくしなさい」
 「友だちを作りなさい」

 子どもには、「明るく」出来ない事情がある。
 個々の内面を無視して、表面だけ明るく振る舞うことを要求する
 教師たちは、偽善の勧めをしているのではないか。

 やまねこはこう思って、小学校の教師たちに対して、ずっと
 批判の眼を向けていた。

 その後、必ずしも人は「明るく」振る舞う必要がないことを知ったころ、
 同じ考えの友人ができていた。
 「明るさ」の強制をされなくなったころ、自分が「明るく」なった、
 とやまねこは思っている。

 
 精神医学者の野田正彰氏「悲しみの抑圧」

 阪神大震災を経験した精神医学者の野田正彰氏が毎日新聞5月2日(月)
 に寄稿している。

 概略を記そう。
 
 発生1週間後に岩手の避難所を5~6か所まわった。
 すでに二人に自殺者が出ていたことに驚嘆。

 「頑張ろう」とのメッセージは、もう頑張れないと思う人には、酷なメッセージ。
 「私はダメだ」と落ち込ませるだけ。
 悲しみの抑圧が進んでいる気がする。

 被災者たちの悲しみを見つめる環境が必要。
 避難所で一人黙っている人に関心を寄せる必要あり。
 本当に悲しんでいる人たちが5,6人集まり、悲しみの体験を
 語り合えるといい。

 野田正彰の語る「悲しみの抑圧」とは、悲しんではいけないと、周囲から強制
 されることを意味している。
 これは社会全体の「悲しみの封印」につながってゆく。


 野田氏の指摘は、都市計画にも及んでいる。

 「震災前より立派な町に」とこの基に乗じて都市計画を進めようとする声が
 大きくなる。

 神戸市は大震災発生数日後に、区画整理事業を発表、
 多くの高齢者を生まれ育った町から追い出し、孤独死の一因を作った。

 「不幸は忘れて新しい町を作ろう」という掛け声は、傷ついた心を再度大きく
 えぐる行為である。

 「思えば日本の近代は、災害の時も戦災の時も、個々の悲しみを封印させて
 社会の復興を推し 進め、人々の悲しみを切り捨ててきました。

 被災者に寄りそって復興を目指すのか、被災者をさておいて復興をめざす
 のかでは、根本的に違います。

 震災前より立派な町を作る必要などない。

 かねてから愛読していた野田正彰の面目躍如。


 復興とは、悲しみを封印することではない。
 むしろ、悲しみの記憶を、忘れないことで、悲しみの災害を2度と
 繰り返さないように、共同的に決意し、決意を継続する町を
 作ることであろう。
 野田正彰と同様に、やまねこ、切実にこう思う。
 

 震災後の今だから、「悲しみの抑圧」を強制し、「悲しみを封印」する社会の
 残酷さが、われわれに分りあえるのではないか。 

 上原美優がもしかしたら、同じ悲しみの中にいたかもしいことが
 想像できるのではないだろうか。
 
 あなたはどのようにお考えですか。

 うらおもて・やまねこでした。
 

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