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2011年6月5日日曜日

「欠点」を改めてはいけないのよ。ナウシカのメッセージ

@@@やまねこ通信93@@@

就職した新卒の女子からメールが来た。

「毎日毎日戸惑いの連続でちょっと疲れてます。
最近は、新規マーケットの開拓のためのテレアポをメインにやって
ます。
しかしながら、もともと電話って苦手なのでもう本当に心が折れそ
うになります」。 

4月に新しい職場に入った。
会社の中だけの仕事なら、同僚や組織のことが少しずつ分って少し
慣れる時期だろうけど、彼女の仕事はマーケット開拓である。まっ
たくの見ず知らずの相手に対して電話予約をとらねばならない。

45月張りつめてきたら、丁度6月の天候不順の中、気持ちが落ち
込むかもしれない。

やまねこは返事を書いた。
「顧客に対して電話する 
電話応対マニュアル通り「仕事役割」になりきり、機械的に話せば、
誰にでも出来そうな電話。けれど相手の人の立場などを想像しだすと、
頭にいろんな考えが浮かんで、どんどん難しくなるかもしれない」。

その通り。
テレアポは難しいのよ。
話している自分に対して、「ああ、私ってうまくないなあ」と、頭の
片隅で責める自分がいないだろうか。
「本当なら、こうでなくてはいけないのに」。
自分の仕事をとがめる別の自分の声。

「仕事役割」にはとてもなりきれない。
「私」がぽこぽこ顔をだしてくる。
誰かにどこかで批判的に言われたことが、またしても鳴り響くかも知
れない。

もしかすると周囲には、テキトーに相槌をうって、明る~く流してい
るように見える人がいるかもしれない。
あ、あの人上手なんだ!
ますますめげてしまう。

考え込んでしまう。
どうしてわたしって、こうなんだろう。
頭の隅で声が聞こえるかもしれない。
「考え込んじゃだめだよ」
こんなとことで暗く思いつめてこだわるのって、わたしの欠点なんだ。

電話で意思を伝えるのは、難しい仕事である。
どうもうまくいかないな。
疑問に突き当たって当たり前だと思う。
テレアポを最初からすらすらこなしているように見える人たち。
一見、こう見える人は割に多いかもしれないけれど。

すらすら電話をして面会に赴くタイプの人がいたら、その人は「仕事
役割」になりきっているのだ。
自分の語ること、自分の作業に少しも疑問や矛盾を感じない。「私」
が顔を出して悩むこともない。

もしかすると職場に「私」を持ち込まないのかもしれない。それだけ
でなく「私」のことにあまりこだわる習慣がないのかもしれない。
「私」はどうでもいい。仕事は仕事と割りきる。
逆にいえば、仕事の相手や顧客はただの「仕事相手」だ。
それでいいじゃない。

このタイプの営業員は、誰に対してもパンフレットのように、あるい
はPCのプレゼンのように機械的に同じことを語る人々かもしれない。
自分が話すことに対して、少しも矛盾を感じることがなく、疑問をも
たない営業員かもしれない。
すいすい毎日鞄を持って仕事先に向かってゆく。

ところがこんなタイプの営業員がいたら、仕事の相手に対して、いち
ばん印象の薄い人々だと思うよ。ロボットと置き換えても変わりがな
いのだから。

電話をするのは自分の苦手だと思ったら『風の谷のナウシカ』を見て
ください。
今年の「物語の力I」で見ました。
ナウシカは、子ども時代、ひとり虫と遊んでいた。
小さなオウムの子どもだった。

村の大人たちはそれを見つけ、ナウシカを非難した。
「ナウシカが、また虫と遊んでいる」
「虫を捨てなさい」
大きな身体の大人たちが一斉に手を差し出して虫を渡すようにと、ナ
ウシカを木の根もとに追い詰めた。

ナウシカは負けずにオウムの子どもを守り抜いた。
けれども大きな大人たちに咎められた記憶は、今なお忘れられない恐
い記憶として残っている。

成長したナウシカは、虫の心と通じ合い、人間たちは虫の世界、オウ
ムに対して攻撃するつもりはないのだと伝えることができた。
このことでオウムの大群は、人間に対する攻撃を停止し、赤の攻撃色
から青色に転じた。

大人たちが「だからお前はダメなんだ」と子どもたちを
責めると、子どもは自分のしてることが間違っていないと
思いながらも、その一方で「わるいことなんだ」と自分を責め心が揺
れる。

ところが一方で、大人たち一人一人は、必ずしも自分で物を考えて発
言し、子どもに接するとは限らない。
むしろ大人たちは、共同体の「慣例」や「掟」に従って生きており、

それ以外の「選択」や「自由」が存在することすら、考えたことがな
く、知らないことが多い。

こうした大人たちの「集団的思考」と違うところに、子どもであれ大
人であれ、一人一人の「個性的」で「自分らしい」生き方があるので
はないか。


<虫めずる姫君>であるナウシカは「だからお前はダメなんだ」と責
められた「欠点」を棄てることなく守り続けた。
時間がたち、ナウシカの「欠点」こそが共同体全体を救った。

 
宮崎駿のアニメでいちばん面白いところは、大人たちの「集団的思考」
から子どもが自分を守りぬいて、自分を自分らしく育ててゆくところ
だと私は思ってる。

大人がいて、大人の社会があるにもかかわらず、子どもが自分を育て
てゆくことができるという発見が、宮崎駿のアニメに共通している。
これがジブリものの最もスゴイとことだと私は思っている。

自分が「欠点」と思うこと。
そこにあなたの個性があるのです。
あなたがアポテレを欠点と思ったら、それは大人たちの「集団的思考」
からはみ出す自分が見える現場なのです。

あなたの「欠点」を変えようと思ってはいけない。
「欠点」と思う自分の一部を大事にしてみよう。
それがあなたの個性だから。
「欠点」を改めてはいけないのよ。
変えてしまったら、「大人たちの集団」と同じような「誰でも同じ」
人々になってしまうのだから。

自分の「欠点」はこのままにしておこう。
むしろ自分の「欠点」をとがめることを止めよう。
「欠点」と仲良くしよう。
そうすれば、「自分らしさ」が育ってゆく。
それは誰かに見せたり自慢することではない。
黙って、「自分らしさ」を大事にしてゆこう。

来週の土曜日、下諏訪の反原発集会で発表するから、
その準備をしています。
上海餃子屋で夕食するのだったらOKだよ」。


うらおもて・やまねこでした。

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5 件のコメント:

  1. 欠点=個性、同感ですが
    欠点を個性と認識できるまで、それなりの時間が必要なのです
    認めることが出来たとき、人は一回り大きくなれて楽になるのです
    いつの頃からか、この世はマニュアルの奴隷になった優等生や
    役にも立たない資格の鎧を纏った才能の無いロボットたちが右往左往
    欠点をアクセサリーに、飄飄とした人物を大切にしたいものです

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  2. やまんばさま。
    コメント有難うございます。
    「それなりの時間」が必要です、確かに。
    その間に、面倒だから欠点を改めてしまい「立派」な人になってしまう人の多いのが、悲しい現実だと思います。
    そうして子どもたちに、またぞろ、「欠点」を改めるように押し付けます。
    だから世の中にマニュアル人間、受験秀才が増えるのです。
    欠点をアクセサリー!!!
    こういう考えもあるのか!

    ところでハンドルネームやまんばさんは、別にもおいでになる模様。
    だもんで、別の魑魅魍魎に改名して戴けると幸いにおます。

    候補・ネコ娘、ぬりかべ、べとべとさん、ももんが、座敷わらし、ケサランパサランその他大勢、水木ワールドにおりますよってに。

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  3. あ、本物のやまんばさんだったのですね。

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  4. 宮崎アニメの共通項に「欠点」=「自分らしさ」があるとの指摘がナルホドと面白かった。「自尊感情」や「自己肯定感」を
    考える時、この考え方があると具体的になるね。

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  5. うらおもて・やまねこでした。2011年6月5日 13:44

    猫ババさま
    早めに老役のネーム。この先、ずっと使えそうですね。

    その通りなの。
    「自尊感情」の自分、「自己肯定感」の自己って、最初から肯定的な表現はとらないと思うのよ。

    やまんばさんが言う通り、「欠点を個性と認識できるまで、それなりの時間が必要なのです」から。
    一定の時間がたって「欠点」を「個性」と「認めることが出来たとき、人は一回り大きくなれて楽になるのです」。
    この一回り大きくなった自分を自分で確かめる時、そこに得られる感情が「自尊感情」や「自己肯定感」なのでしょうね。

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