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2011年7月16日土曜日

九電やらせメール事件、会社が悪いのは勿論だけど。被災地ボランティア、思い出の品を保存

@@@@やまねこ通信112@@@@
● 九電やらせメール事件
玄海原子力発電所(佐賀県玄海町)2、3号機の運転再開の是非を
問うため経済産業省が6月26日にケーブルテレビで放送した県民
向け説明番組の際、九電課長級社員が子会社に、再開を支持する電
子メールを投稿するよう依頼していた。電力会社自らが「やらせメ
ール」で番組の公平性を阻害したことで、原発再稼働の是非だけで
なく、国の原子力政策への信頼を揺るがしかねない事態となってい
る。(以上毎日新聞WEB)

なかなか辞意を表明しない眞部利應社長に対し、15日海江田経済産
業相が辞任を促した。当たり前のことである。

九電に対し権力関係風下にあった子会社は、▽西日本プラント工業
▽九電産業▽西日本技術開発▽ニシム電子工業--。九電社内の▽
玄海原発▽川内原発(鹿児島県薩摩川内市)▽川内原子力総合事務
所(同)--の3部署の中堅社員3人に対して、具体的な文例まで
示して指示が流された。

番組にメールする際は九電関係者と分からないよう、自宅などのパ
ソコンからアクセスするようにとの指示付きだった。

子会社の社員は約2300人。番組中にメールが473件、ファク
スが116件寄せられ、141人が再稼働への賛成意見を寄せた。
賛成意見を引くと賛否が逆転した。
この数の男女比はどうなってるのだろうか。


やまねこは考える。
子会社社員たちが自宅パソコンから一般市民を装い、玄海原発賛成
のメールを送ったこの事件。私的時間と場所での活動だから、所属
長が点検することはできないはずだ。

この社員たちは、玄海原発のような古い原発の再開を本当に願い、
玄海の再開がなかったら九電が苦境に陥り、子会社である勤務先が
つぶれると本当に思ったのだろうか。あるいはそうした恫喝が社内
で流されることに対して、対抗的な理論構築を打ち立てないのだろ
うか。社会の公正とか未来の地球環境などは考えないとしても、子
どもなどの若い世代が家族や親族、友人の間にいてその将来を想像
することがないのだろうか。

それともテレビの討論会なんか大した意味はないからテキトーに対
応したのだろうか。どうだっていいや。無力感と虚無感によって支
配される毎日なのだろうか。

何らかの会社の従業員として働いたとしても、市民として自由にも
のを考えることを禁止されていいはずはない。誰であれどこかで勤
労することで生活を支え私的時間を確保する。この私的時間まで勤
務先資本に「管理」されていいわけがない。

たとえ九電との権力関係上、こうした上意下達の命令に服従すべき
であると、社内に常日頃恫喝指示が流されているとしても。組合が
逆の指示をしてくれないとしても。

自分の「自由」をしっかり確保する成熟した個人である市民がなか
なかこの国には育っていない。やはり「人と人の関係」が「民主化」
されてないと思う。


この国では、官僚組織であれ、企業であれ、組織という存在は、国
の中にある独立国のように振る舞っている。いったん、その中に入
ったら最後、自由な考えをしたら生きて行けないと思っている人々
の集団のように見える。
この点において社長から子会社の従業員まで同じに見えるのはどう
してなんだろう。

子どもたちの教育は学校の仕事としても、大人になってしまった人
々は、どうやったら変わることができるのだろう。

  被災地でのボランティア活動、がれき片付けから思い出の品の保
存へ。

蛍を見た夜、清水さんの妻ちよえさんは、陸前高田市の片付けボラ
ンティアに参加したことを言葉数少なに語った。

宿舎から毎日バスで被災地に向かう。道路の路肩が崩れたでこぼこ
道をバスはゆっくりと進む。車ののろさを見るだけで日常的世界と
は切り離された場所であることを痛感した。地上に形ある物のない
場所を車がゆっくり移動する。
まるで冥界に近いとの思いをいだいたという。

田圃の真中に残されているがれきを、道路際まで手作業で運ぶ。や
がてトラックが回収できるように。けれどがれきを片付けるという
より、思い出の品物を拾い上げる作業が主であったという。ちよえ
さんもピンクのノートを拾い出した。水で泥を洗い落として保存す
る箱に収めた。中にはしっかりした文字で日記が記されていた。持
ち主はいまどうしているのだろう。

S岡さちほさんからメールをいただいた。さちほさんは地方公務員
3月に退職し、自由になった時間を被災地のボランティア活動に
あてている。 

15日午前2時に石巻から帰宅。前回のボランティアの内容は被災
家屋の周りや側溝の泥だし、津波により1階の天井付近まで浸水し
た家の壁(石膏ボードが水分を含んだためカビが発生していました)
を壊し、壊した後の瓦礫を道路に運ぶ仕事でしたが、今回は泥や瓦
礫の中などから拾った写真等を濡れているため広げ乾かし、乾いた
後の写真を泥を落としまとめて、データー化する方へ運ぶ仕事でし
た。

NGOアースディ東京タワーが中心となって行っていました。担当
者の話によりますと、ボランティアの仕事の内容も瓦礫の片付け等
から、心のケア・思いでの品の整理等へと変わってきているとのこ
とでした。

なるほど、そういうことなのか。ちよえさんとさちほさんの被災地
活動の時期が同じだった。
ちよえさん、さちほさん、お疲れさまでした。ご報告どうも有難う。

うらおもて・やまねこでした。


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