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2011年8月8日月曜日

奪われた「ふるさと」2011年フクシマ、 音楽祭会場での声

@@@@やまねこ通信122@@@@

「蓼科みずなら音楽祭」が終わった。
演奏会の直前に事務局の電話が鳴りやまなくなったと実行委員会主催地
側会長の原房子さん。

「やっぱり『ディープピープル』の影響が大きかったんじゃないの?」とたけ
さん、せいたかさん。

やまねこもそう思う。コバケンをプロデュースする側がどう考えようと、お金
を払ってクラシック音楽を聞きに来る人の数は茅野周辺では多くはないの
だ。松本の齋藤キネン音楽祭での、小澤征爾の切符を買ったから、もう小
遣いを使い果たした人もいたかもしれない。

ところがNHKテレビで『ディープピープル』が放映され、「炎のコバケン」の
姿が、音楽ファンとは限らない多くの人々の眼に、触れることになった。音
楽祭直前。まるで見計らったようなタイミングだった。

そうか、コバケンこと小林研一郎って、世界のマエストロと呼ばれるような
スゴイ指揮者なのか!しかも障がいをもつ人々とともに音楽を作るんだっ
?そういえば、茅野でコンサートが開かれるって話、聞いたよ。

こうして切符売り切れの宣言を出してからも電話が鳴りやまなかった。最
初は切符が動かないので夜、眠れないこともあったという原さんの苦労が
報われてホントに良かった。

東日本大震災と東電福島原発事故後の復興を願い、「がんばろう日本」の
白文字を書いた黒のTシャツ。このTシャツはサポーターの全員のユニフォ
ームだっただけではない。コバケンはじめオーケストラメンバーも、ステー
ジで演奏するとき着用した。

失われた故郷をいとおしみ、再建への勇気を促す音楽祭の曲目は、前回
通信にも書いたように、近代のネーションステート(国民国家)建設、あるい
はそれを記念しての歴史物語「国を侵略する敵国の手から守る」をテーマ
とした作品が選ばれていた。

ここでは帝政ロシアの圧政に抵抗したフィンランド人の建国物語「フィンラ
ンディア」と、帝政ロシアがフランスのナポレオン軍の侵略を許さず国土を
守り抜いた 「1812年」に代表させることにしよう。

話は変わるが、このたびのこの国の震災と原発事故を振り返ってみよう。
「国」を侵略する「敵」は、帝政ロシアでも、ナポレオン軍でも大英帝国で
もない。

敵はまずもって地震と津波だった。けれどそれだけだったら、どんなによ
かったことだろう。

コバケンはいわき市の出身だった。オーケストラの中に福島の出身者が
5人ばかりあった。故郷を立ち去ろうとしているとの声も聞かれた。

今、人々を恐怖に陥れ、追い立てている「敵」は直接的には目に見えぬ
放射性物質であり、その発生源は東電福島原発である。

シベリウスの「フィンランディア」、チャイコフスキー「1812年」では国家が
敵国に対して全力で立ち向かい勝利をおさめたことが誇らしく語られてい
る。

現在この国では、「敵」に対する全面的な闘いが挑まれているのだろうか
?二度と同じ事故を繰り返さぬように、「敵」に対する徹底的な「攻撃」「防
止策」が国を挙げて取り組まれているだろうか。

悲しいことにそうではないのだ。むしろ経済産業省、原子力保安院、東電
とその応援団経団連など「国家」を代表すると自称する側が、「敵」の姿を
見えにくくしている。

そればかりではない。個々の市民が「敵」がどんなものかの情報収集をし、
個人のネットワークを生かし、力を合わせて「敵」に立ち向かおうとしている
活動を、「国家」を僭称する、電力会社、重電機メーカーなどの旧来の利益
共同体が、社会システムを利用する形で、ねじ伏せようとしている構図が
展開しているのではないだろうか?

「敵」と闘う個人の集団を、「国家」が妨げている。
一体誰のため、そして何のために?

シベリウスの「フィンランディア」、チャイコフスキー「1812年」の国家と国家
の戦争のモデルはフクシマでは通用しない。国内のもはや賞味期限が切れ、
死にかけた旧勢力が、自分たちの権益温存のため、あらゆる手段を使って
市民を欺こうとしているのが、この国の現状でなのだから。

だとしたら、「フィンランディア」や帝政ロシア支配下の「1812年」はフクシ
マ以後には不適切な選曲だったのだろうか?

このことをやまねこは考えてみた。
果たして「フィンランディア」や「1812年」に描かれた戦争の兵士たちは、
「国」のために日常のなりわいを放棄して出陣し戦ったのだろうか?

出陣した男たちは「国」の徴兵に従わない自由はなかった。出征する道も
しない道も死に繋がっていた。だから兵士たちが「帝政ロシア」皇帝の名
誉を守るために戦ったということは、ほとんどありえないだろうとやまねこ
考える。

戦争で戦った農民たちの内面に固有の大義があるとしたら、生まれた育
った土地、一族同胞の暮しを支える大地と風土へのいとおしみと、それが
失われる事の危機感であっただろう。その危機に際して、致し方なく農器
具を武器に持ち替えたのであろう。このようにやまねこは考える。

このような「生まれた育った土地、一族同胞の暮しを支える大地、風土」と
は「母なる大地」と呼ばれるものである。日本語ではそれを「ふるさと」とい
い、それに対する呼び掛けは「お母さん」である。

戦争で死ぬ時は「天皇陛下万歳!」と叫ぶべしと教えられた日本兵たちは
その通りに叫びはしなかった。そうでなく、兵士たちは「お母ちゃーん」と叫
んで死んだ。兵士たちにとって一番大切なものが「「お母ちゃーん」という名
で呼ばれる人々と大地、風土だったのだ。

それゆえ、「フィンランディア」も「1812年」も、失われかかった「母なる大
地」への哀切の思い、最終的に「ふるさと」を守りぬいた喜びを歌っている
音楽と考えたらいい。

「国」というより「土地と風土」。どの作品も「ふるさと」の歌なのだ。ここに
国を持たないロマの人々のチゴイネルワイゼン、ドヴォルザークの「新世
界から」、「ダニーボーイ」、コバケン作曲「パッサカリア」の夏祭りも分類
されるであろう。

これらの音楽はどれも、失われかけて初めてその意味が認められた「ふ
るさと」の歌なのだ。この「ふるさと」を大津波被災地の釜石高校音楽部
の女子生徒たちが歌った。

「蓼科みずなら音楽祭」の選曲はそれゆえ、深い意味で外れてはいなか
ったとやまねこは思う。
フクシマ以後多数の人々が「敵」に「ふるさと」を奪われたのだから。誰し
も、「ふるさと」を奪われたら生きては行けないのだから。それはフィンラ
ンドでも1812年のロシアでも、2011年のフクシマでも同じことなのだか
ら。

ここで、今だから見える重要なことを確認しよう。
「ふるさと」をいかなる意味であっても「国」と一体とみなすのは途方もない
大間違いということだ。
暮しを支えた大地、風土「ふるさと」を奪われて途方に暮れ、哀切の中で
のたうつ人々、それに共感する人々の感情や情緒を、「愛国心」と呼ぶ
ような間違いを、誰にも許してはならないということだ。

人々の「ふるさと」への思いを略奪するところから、意図を持った
「国」の「戦争」への再編成が開始されるのだから。「戦争」とは
人々の暮らしを踏みにじる、すべての「国」の行為を指す言葉であ
る。

   会場で皆さんと話した

岡谷市のHしずえさんは帰り際、「2階席の真ん前に座ってたの。涙がと
まらなくて!」とハンカチで目を押さえながら語った。

岡谷市のかやのさんは中学生の娘さんとその友だちの3人で参加した。
「素敵でした。
コバケンも全ての演奏者も釜石の高校生も、ボランティアスタッフ
の方々も(^_^)
モーツァルトのピアノに泣けてしまいました。
きらきらした時間をありがとうございました」。

茅野市の友人Mやよいさんは、「3000円は安すぎる」とのお考えだった。

岡谷市のたけさんはせいたかさんに語った。「お風呂の掃除してたんだ
けど、大事な音楽祭の日だって気づいたの。こうしちゃいられないと思っ
て飛んできた」。

せいたかさんは語った。
「コンサートは針一本落ちてもいけないって音を出さないように緊張する
けれど、障がいをもった方々と一緒だったので、気持ちが楽だった。一般
客が救われたんじゃないの?」。

諏訪理科大を会場にして、サポーター実行委員会の打ち合わせ会が2度
開かれ、それぞれ20人、30人が集まった。その際、DVDで以前のバリ
アフリー音楽会の模様が上演された。
「あれを見たことで、紹介された演奏家に対する親しみが、サポーター、
聴衆の側に生まれましたね」、と話しかけてくださった方。

また来年も開かれると良いな。この気持ちがどの人の顔にも表れていた。

あれだけ多数の人々の心を動かした音楽祭。けれど、切符販売始め、舞
台裏はさぞかし苦労の連続だったであろうとやまねこ推測している。地元
の立役者は緑のショートヘア、ロビン・フッドならぬロビン・フーコ、こと原
房子さんである。

サポーター宛ての「ご苦労さん会」の知らせと共に、原さんはこんなことを
メールに書いている。

「茅野では事前からチケットを手に入れてコンサートを楽しみに待
つということがまだ習慣にはなっていないのでしょう。
コバケンと云えども、この辺りでは知名度が低かったとも言えるで
しょうが、売り出し当初、チケットが動かずにどうしようかと眠れ
ない日々もありましたが、最後になってサポートCの電話はこれま
でになく鳴りっぱなし!
市民の感覚もきっと変わっていくことでしょう。
音楽によるバリアフリーのことも含め、何か行われる毎に地域は変
わっていくと思う。
その一歩を大勢の皆さんと踏みしめたことをうれしいと思います」。

やまねこは10日後の「ご苦労さん会」に出席して、実行委員会の中心と
なって働いた方々の話に耳を傾けることを楽しみにしている。
次回はバリアフリーっていったいどんなことか?パンフレットを読んで気づ
いたことについて書きます。

うらおもて・やまねこでした。

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