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2011年9月29日木曜日

成瀬巳喜男演出『妻よ薔薇のやうに』、知のリフォーム、専門家と非専門家

@@@@やまねこ通信141@@@@

9月が慌ただしく立ち去ろうとしています。やまねこの住む地域では、
朝晩気温が4~5℃まで落ちて、炬燵にスイッチをいれました。皆
さまの地域ではいかがでしょうか。

昨日924日、成瀬巳喜男演出『妻よ薔薇のやうに』(昭和10年(19
35年))をテキストにセミナーを開いた。

制作年1935年、当時30歳の成瀬巳喜男はこの一年で5本の映画を作り、
初期の黄金時代を画している。1937年ニューヨークにおいて『Kimik
o』のタイトルで上映。米国一般上映された初の日本製トーキー映画。
「キネマ旬報」ベストテン第一位、現存プリント題は『二人妻 妻
よ薔薇のやうに』である。

924日(土)茅野市男女共同参画講座の資料に基づいて、簡単に紹
介しよう。

タイトル:
「結婚制度」には無理がある。その逸脱がドラマを生む!
悦子、君子、お雪、静江、俊作、堅一:
誰の主体にあなたは立てるだろう? 

●物語のあらすじ:
裕福な一族の母悦子は歌人で日々、歌作のインスピレーションを追
及している。家事は一切せず、歌を教えて所得を得ることも考えな
い。その一方、呉服屋が出入りしてたびたび着物を新調。長女君子
は帽子を斜めにかぶり胸を張ってビル街を闊歩する「モガ」モダン
ガールの典型。都心のオフィスで働いて高給を得ている。君子は婚
約者の精二に対して、お茶のサービスはせずセルフサービスを命じ
る。二人は対等に見えるカップルである。

一家の父俊作は、この10年、信州で金鉱探しをする傍ら、事実婚の
家族と共に住み、戸籍妻のもとに20円、30円の為替を送ってくるだ
けである。悦子の兄、君子の伯父夫妻は、どちらも道楽三昧の日々。
夫は義太夫、妻は麻雀で遊び歩く。

伯父は君子の結婚を前にして、俊作を信州から引き戻すことを君子
に促す。「金目当ての性悪女お雪」との呼び名が呼びかわされる東
京。

君子は、一家再建の期待を担って、信州に赴いた。ところがお雪は
「性悪女」とは正反対。むしろ髪結いと縫物で俊作の金鉱探しを支
えていたのだった。連れ子の長女静江、俊作との間の長男堅一との
肩を寄せ合った貧しい暮しを前に、君子は伯父の使い走りではなく、
自分の力で考えることを開始する。これまでのモガだった軽い君子
は人生の大事に初めて向き合い、思索し選択する主体に変貌する。

君子の結婚式のため一旦俊作は東京に赴くが、妻悦子とはことごと
くそりが合わない毎日だった。結局、俊作は信州に戻り、事実婚の
お雪一家を選ぶ結末で終わる。原作者中野實は新派の劇作家。清ら
かな信州の「貞節な妻」の涙の物語を選ぶか。それとも夫の世話を
しない悦子が夫を偲ぶ歌を作っていることを見て同情するか。最後
に涙を流す悦子を批評する男性は「君子の母悦子は救われない」と
語っている。あなたは誰に味方するだろうか?

この「講座」では、参加者の皆さんにテキストを見る際のポイント
を投げかける。一定の角度から見てもらうことでジェンダー意識の
目覚めにつながると、主催者のやまねこたちが考えているのである。

●ポイントは次のようである。
  1    戸籍上の妻悦子、長女君子、責任ある夫俊作、事実婚の妻お雪、そ   
  の連れ子静子、事実婚の長男堅一:それぞれ相反する立場に生き
  ています。この中の誰かの立場を選んで考えてみましょう。一人
  ではなく、複数でもかまいません。(結婚制度の矛盾が実感でき
  ます。)

2 次の議論は言い古されたステレオタイプの議論です。これだけ
  の結論は避けるようにしましょう。
・妻は夫に従い一心同体でなくては。教養が高く仕事に夢中、家事
 がおろそかの妻は夫に逃げられて当然。
・男は身勝手な生き物だ。二人目の妻など虫が良すぎる。

3 原作の中野實は新派劇の作者です。新派劇は、悲恋などの女た
 ちの不幸をドラマに仕立て、観衆の涙をしぼりとりました。けれ
 ど、成瀬巳喜男映画は、別の視角を与えてはいないでしょうか?

参加者の小リポートが提出され、コピーをして相互に共有した。そ
の後、今回の報告者やまねこが報告。

  報告
1 結婚制度の無理、結婚制度の桎梏は物語を豊富に生産する装置
ある。
結婚制度の無理ゆえに栄える隠花植物、「権利なき貞女の神話」を
新派劇作家中野實原作『二人妻』は美化し賞賛しているかもしれな
い。成瀬巳喜男脚本演出はこの神話・美学を転覆してはいないだろ
うか?

2 東京はカネが物を言う社会だった。信州それに対比し、金では
なく、「幸福」の場所であると同時に、男女不平等の場所である。
権利なき事実婚妻が髪結いと縫物で支える底辺のつましい暮し。

夫を引きとめるため、夫の「名誉、体面」を支え資金提供、贈与を
お雪はしてきた。俊作の金鉱探しの資金、東京への小為替送金、東
京の長女君子の学費、黒服、交通費(山内一豊の妻もどき)を負担
など。

その結果、お雪の連れ子娘静江は女学校進学を断念し、母と共に縫
物をして一家を支えている。一方長男堅一は、中学に進学させる予
定と見える。メガネを掛けた堅一は勉強熱心と見える。

吉田松陰の親孝行の物語を読む堅一の声が聞こえる囲炉裏端で、「
貞女」お雪は夫俊作に昼間の洋服から丹前に着替えさせ、肩を揉ん
であげる行為が同じ画面で並列されるところで、お雪の行為が、明
治以来戦前期までの道徳との並列であることを意図する成瀬巳喜男
脚本、演出と見ることはできないだろうか?

  結婚制度とその逸脱について考える。
・男性は結婚制度から逸脱することを社会的に容認されていた。男
の甲斐性、「妾」「二号」買春など。子どもが育つまでの4年間で
「愛」が終わるとの動物学を踏まえた知見も語られている。

・今日、「不倫」という名で、女たちの結婚制度からの逸脱がドラ
マで物語られることが多い。けれど結婚が経済的共同体であり、男
性が稼ぎ手である限り、結婚制度の単なる崩壊は女性にとって不利
に働く。

・男性が結婚制度を逸脱するところから家族という生命再生産共同
体に「婚外子」という存在が生みだされる。生まれた子どもは生命
の平等の原則で守られるべきなのに「婚外子」は社会的に排除され
ていた。

・このことを救済するため、生まれた子どもが経済的に家族に所属
するのではなく、国に直接所属し、扶養されるという制度が必要に
なってくる。(例:スウェーデン他)。

  スウェーデンの結婚制度、家族制度
スウェーデンの制度に言及したところで、やまねこに対して質問が
寄せられた。やまねこにとり、これは良いきっかけである。次回は
スウェーデンの結婚制度、家族制度について発表しよう。発表の必
要が生まれて初めてその問題に取り組むのが、非専門家としてのや
まねこの流儀である。
  
今年の12月にかけ、やまねこはスウェーデン、デンマークの家族
制度、社会制度について調べようと数冊の本を買い込んでいた。と
ころが大震災と原発事故以後、多くの時間をその情報収集に振り向
けていた。だから今回の質問は得難いタイミングとなった。どなた
か、スウェーデンの家族制度に関心ある方、共同でリサーチしませ
んか?

●やまねこは、非専門家として、家族、子ども、女たちの政策、男
女共同参画について、講演をしたり、セミナーでの問題提起をする
などの活動をしている。聴衆の皆さんは社会人の方々である。社会
人、市民を対象としたこれら学習会の目的は、いったい何だろうか。

やまねこは一人の市民として、インターネット、テレビ、新聞、書
物を通じてさまざまな事象を獲得し、日々人々と語り合い、これま
での様々な経験をもとに、今日のこの国の社会に起こっている現実
を把握しようとしている。とりわけ、家族、子ども、女たちに起こ
っている問題に対して関心が深い。

理解できない現実があることは不安である。何とかしてさまざまな
事象を理解可能の領域に送りこもうと思考することが、やまねこの
刻々の習性であり日々の習慣である。これは何も特別なことではな
く、多かれ少なかれ誰しも行っていることであろう。

やまねこはこうした習慣によって得られた自分の考えを知人、友人
に投げかけている。本ブログ「うらおもて・やまねこの棲家」が、
その場である。ブログ開始前は、個別の友人にメールを書いていた。
メールやブログ対してさまざまな考えが、メールで投げ返される。
現在このブログにやまねこが書いていることは投げ返された意見に
対する返事でもある。「うらおもて・やまねこの棲家」はそれゆえ
ダイアローグの場である。

講演や、セミナーでの問題提起は、ブログの延長である。やまねこ
はその都度、必要な知識をインターネットや書物を通じて、時間の
許す限り入手するように努め、様々な問題について、専門家の書い
た本を参考にしている。

やまねこは最初に、自分のことを非専門家と書いた。非専門家とし
てやまねこがリサーチする目的は、まとまった知識や情報を現在の
必要性に応じて裁ち直し、つまりは古着のリフォームのようにつぎ
はぎして、友人知人およびその延長にある社会の不特定多数の方々
に手渡し共有することである。リフォームされた知識は、アカデミ
ックな専門家がカバーする領域と領域の間に跨っていることが多い。

アカデミックな専門家の目的とするところは特定の学問領域内での、
自己の専門の拡大と深化であり、新調の洋服の仕立屋さんのように、
ーラードスーツを完成させることであろう。新調服のテラー。
これが専門家の仕事であり、その作品がコンクールで受賞すること
で価値が証明される世界である。といっても受賞とは喩えであって、
文科省の科研費などがこれにあたる。受賞基準が説明されないとこ
ろは、コンクールと違うかもしれない。
一方、やまねこは自己の非力も顧みず、特定の領域を設けることな
く、自分の知りたいことについて、様々な知の古着をつぎはぎして
はリフォームする。こうして興味のおもむくまま、古布再生さなが
らリサーチの手を広げることが、目下のやまねこの無上の喜びとす
所なのである。

うらおもて・やまねこでした。

2011年9月22日木曜日

ブレークした「福島のお母さん」西片嘉奈子さん、子どもたちの命を守らないこの国

@@@@やまねこ通信140@@@@

台風15号は大きな被害をもたらしました。震災、原発事故
被災地にも容赦なく暴風雨をもたらしました。被害に遭わ
れた皆様にお見舞いを申し上げます。

●原発事故の被災地福島の人々は、どんな思いで暮してい
るのだろう。子どもたちは?親たちは?現地の事情を聞か
せてもらいたい。こんな気持ちが実り、脱原発諏訪連絡会
「福島のお母さんのお話を聞く会」が開かれた。会場下諏
訪総合文化センターには107人の聴衆が詰めかけた。

福島市から山形県米沢市に避難転居された西片嘉奈子さん
が登場。当日、山形新幹線米沢から大宮へ、新宿まで乗り
継ぎ特急あずさ号に。そうして下諏訪に到着したのだった。

西片嘉奈子さん(33歳)は小学5年長男と3年長女の2
児のママ。8年前に離婚したシングルマザー。7月始めに
福島市から山形県米沢市内に避難のため転居した。

西片さんは原発事故後の時間の経過を丹念に追って、精密
に語ってくれた。震災当日、停電、断水、テレビなしの中、
どんなことが起こっているのか分らぬまま、子どもたちは
外で遊んだ。

二日目の午後、自宅の電気がつきテレビを見た。原子炉の
爆発の映像を見たけれど、全然ピンとこなかった。
当時福島市は24マイクロシーベルト。X線を受けると6
00マイクロシーベルトだからさほど強い放射能とは思わ
なかった。

それ以後、マスク、帽子を身に着け、断水のため長蛇の列
となった給水所に並んだり、散歩したりした。テレビでは
チェルノブイリ経験ある山下長崎大教授が語っていた。
「安心です。安全です。100ミリシーベルトまで大丈夫
です」。この言葉に安心し、母親たちは子どもを外に出し
た。

やがて西片さんは今何が起こっているかに疑問がわいた。
やまほどの情報の中で、何が本当なのか調べようと、携帯
でグーグル検索を始めた。福島県の歴史、歴代の知事、そ
の政治的人脈。こうするうち、3月末頃には背後に政治の
力が働いていることに目覚めた。

3.11以前、西片さんは原発銀座の福島に住んでいても
原発にはほとんど関心がなかった。
ところが毎晩の情報検索をするうち、「勉強好きでもなく、
政治に関心もない、普通の母親」だった西片嘉奈子さんが、
どんどん疑問に突き当たり、さらに検索し本を読み、謎を
追及し続けた。

放射性物質の影響ある福島市に住んでいるのだから、この
先どうしたらいいのか知りたい。放射能汚染の現状を知る
につれ、避難するしかないと考える。ところがはっきりし
た指示が、県からも国からも出されないままである。

こうするうち西片さんは持ち前の観察力、記憶力、推理力、
さらに事実を組み立てる構想力をあらんかぎり発揮してブ
レークした。

こうして現在の西片嘉奈子が誕生した。原稿なしで80分。
西片嘉奈子はあふれる思いを隠すことなく膨大な情報を精
密に整理しながら理路整然と物語ったのである。やまねこ
たち聴衆は言葉で表わし難い感動を抑えることができなか
った。ものすごいパワーだった。

80分の講演全部をユーストリームで繰り返し聞くことが
できます。ぜひ全編をお聴き下さい。
http://www.ustream.tv/recorded/17371572

●西片嘉奈子さんは現在、友人知人に避難を呼び掛けてい
る。学校全体が集団で避難する「サテライト避難」を促し
ている。戦争中の集団疎開みたいなものである。子どもた
ちがばらばらになったら、新しい環境に順応するのが一苦
労である。西片さんの子どもたちも友人を失う悲しみを味
わった。大きくなればなるほどそうである。
どこかに余った校舎はないだろうか?子どもたちの入居で
いる寮はないだろうか。

●除染作業という無駄金、場当たり行政  
目下、除染作業の進行具合が時折報道されている。校庭の
土をブルドーザーで深さ5センチ分、削り取る。そうする
ことで子どもたちの使用可能にするという説明がなされて
いる。

けれど放射能汚染されているのは校庭だけではないだろう
。学校の校舎のすべてであり、家に帰る道がそうであり、
道端の家屋、商店、駐車場、耕作地、その向うの山々の全
部、つまり福島の全地域が3.11、二日後の爆発によっ
て汚染されたのだ。

除染というなら、このすべてを相手にしなくてはならない
ことは、少し考えれば誰でもわかる。ところが、福島では
放射線濃度の高い通学路を避けるようにと学校が指示を出
しているという。どう見てもおかしい。子どもたちの生命
を守る立場から見れば、何を考えているのかまったく理解
できない。

これが福島の県とこの国の現在の被災地対策なのである。
西片さんは言う。除染に膨大な予算を費やすなら、別地域
への避難に少しでも予算をさくべきだ。被災地で目先の雇
用を生み出すための場当たり行政で良しとするのでなかっ
たら、どの地域に避難が必要か、指示を出すべきである。

現在、県も国も、子どもたちの命を守ってくれない。一人
一人が独自の判断で、自主避難するしかない。費用は自分
持ちである。

西片さん自身のように、様々な意味で、強い力をもった個
人でなければ実行できない。西片さんの知人の中に、保証
金がもらえたら避難するなどの考えの人もいる。カネと子
どもの命が天秤にかけられている。

現在西片嘉奈子さんは「子どもたちを放射能から守る福島
ネットワーク」の世話人であり、「子どもの声 書籍化プ
ロジェクト」の代表である。

「ぼくは何歳まで生きられますか?」「ぼくは大人になれ
ますか?」「どうしてこんな原発を作ったのですか?」「
なぜもっと早く除染をしてくれなかったのですか?」

こうした子どもたちの声が寄せられている。この声を後世
に残すことが大人の役目と西片さんは考え、本にする構想
を持っている。まずは一年後、「フクシマ子どもたちの声」
を出版したいとの考えである。

●子どもたちの命も将来も守ってくれないこの国。西片さ
んの講演の前に、DVDが放映された。福島の子どもたち
が霞が関を訪問して訴えた時の状況が映し出されていた。

文科省など幾つかの省庁の男性官僚たちが、返事に詰まり
マイクをたらい回しにする場面を子どもたちは見守ってい
た。返事ができない若手の官僚たち。答られない若手官僚
も問題だが、答える立場にない者たちを前面に送りだした
責任者であるその上司たちは、カメラには晒されなかった
のである。

「第二の敗戦」後も、依然として同じ光景が続いている。
背広を着た男性支配者たちが、何も起こらなかったように、
どう予算を回し、どう自社のビジネスチャンスに振り向け
るかだけに腐心している。

敬老の日祝日の9.19下諏訪「福島のお母さんの話を聞く会」。
出席者は圧倒的に女性が多かった。子どもを託児サービス
に預けて参加したお母さんたち。活発な発言を寄せる女性
が多かった。

男性出席者は、年金受給世代が多かった。勤労世代、子育
て世代の男性は、数えるほどだった。けれど少数のこの男
性たちは、本当に素晴らしい方々だった。

男性たちはどうしたら、「会社人間」のブリキの制服を脱
ぐことができるだろう?どうしたら自分の自由時間に、
業とは別の原理でものを考えることができるようになる
だろう?

女たちの活躍の場の広がりと、社会の様々な場で活躍する
女たちの増大、一方で企業原理だけに縛られぬ柔らかい思
考をする男性の増大。この両方が共に伸びると良い。この
両者は、正比例しているのではないかと、やまねこは考え
ている。

うらおもて・やまねこでした。

2011年9月18日日曜日

茅野市、教委に「こども部」新設、しかし男女共同参画がセットでなくては実効は期待薄

@@@@やまねこ通信139@@@@


● 茅野市長は、市教委に「子ども部」(仮称)を新設し、
子育て支援の一元化を図って、市教育委員会に置く方針と
いう。
これまでの縦割り行政の弊害をなくし、子どもとその家庭
を継続的に支援するため、02年に子ども家庭応援センター
を設置。子育てについてのあらゆる相談を受け付けて来た。

けれど児童虐待、不登校、発達障害など子どもを取り巻く
状況は複雑多様化。保健、福祉、教育の一層の連携が求め
られているため、市長は「市の将来に向けた重大な問題」
として、一年先送りにし、市議会の9月定例会の一般質問で、
0歳から18歳まで総合的、継続的な支援ができる体制を構
築する」と表明。

少子化の中、子どもの成長を継続的に支援するために、行
政の部局を改善することは良い方向だろうとやまねこは考
える。

しかし、そのことで、社会と家庭での子育てが改善され、
少子化の条件が改善されると茅野市が考えるとしたら、大
間違いと言わねばならない。話は半分でしかないのだ。

子どもを作り、育てることを支援するには、社会における
男女共同参画が進まなければならない。女性が妊娠、出産
をすることは昔と変わらないが、父親が育児に参加するこ
とが不可欠であり、女性の職場復帰が叶わねばならない。

共働きの世帯においてはとりわけ、このことは不可欠であ
る。今日の若い世代は、非正規雇用の割合が増大している。
夫婦共働きで一家を支えなくては、子育てをする安定した
経済的基盤はとても生み出せないのである。

このことは、シングルマザーの家庭においてなおさら、切
実である。被災地で夫に死なれた一家の悲しい事情が報道
されている。母親の職業がなくなったら、こどもを育てる
ことができない。シングルマザーの雇用促進も、男女共同
参画の大きな仕事である。

企業、官公庁、学校などの事業所において、母親の産休、
育休がどれほど取れるのだろう。父親の育休を取るケース
がどれほどあるのだろう?こうした男女共同参画の施策が
行政に取り入れられて初めて、市政における子育て施策の
充実と言えるのではないだろうか?

今なお、おばあちゃんに助けを求め、おばあちゃんの手が
頼めないから子どもは作っても、一人だけにしようという
家族が多い。

男性の育休は、女性が高所得の場合に限られるという現実
も報告されている。女性が非正規雇用だったら、育休を取
るのは女性に限られるだろう。子どもを産んだら職業を辞
め、家事育児に専念せざるを得ない現実が今なお、続いて
いる。

性の正規雇用を増大する方向に進め、女性の所得を増や
す方向に進めるためには、社会全体で取り組む必要がある。
女性が生涯にわたって職業を持つことが当然になり、女性
の就職の幅を広げ、職業選択の幅を広げることで、女性が
子ども時代の夢を、大きくなってから実現する道を開くこ
とにつながるのである。

茅野市の市長は、早急に男女共同参画行政の必要に眼ざめ
パートナーシップの男女共同参画部門と、家庭教育センタ
ーの機構改革に着手すべきであろう。

そうでなければ、「子ども部」をせっかく新設しても、実
際効果の発揮はとても望めないだろう。男女共同参画部局
の改善が必要との認識が市長に少しでもあれば、「こども
部」構想の段階で、そのことが語られているはずだ。子育
てに少しでも関心がある人なら、すぐに気付くことである。

ところで茅野市長とその周辺は、今なお、社会における子
育てはこども」行政を改善すれば実現すると考えてるの
だろうか。

数年前の男女共同参画推進会議の設定が、まさにこのよう
認識と設定に立っていた。「子ども」と「男女共同参画」
を切り離していた。

「雇用部門」の小部会で、企業が女性を雇わない理由が、
女性の妊娠、出産、子育てである事実を無視したまま、
事を進めようとして、やまねこの指摘を受け、汗だくにな
っていた。

女性の部課長を増やせば、こんなことは起こらないだろう
と、当時やまねこは考えた。


女性市議の皆さん、どうかこのことを市議会で追及してく
ださいね。

茅野市では、男女共同参画の担当部局が、市民から分かり
にくい仕組みになっている。やまねこの仲間、「男女共同
参画を進める会」では、柳平市長に対し、現状を改善する
ようにとの、要望書を昨年度末提出した。

特に、男女共同参画の業務を男性が担当するのは、米国の
黒人差別撤廃の部局の窓口に、白人の担当者が付いている
と同じように、理解が及ばず、ちぐはぐなのだと語ったと
ころ、当時、選挙直前だった市長は、少しは理解を示した
かに見えた。

ところが、当選後の現在、何も改善されていない。担当者
は以前のまま男性であり、他の仕事との兼務のままである。
茅野市の男女共同参画業務の遅れている大きな理由の一つ
がこの窓口の混乱である。担当部門の市職の皆さんの努力
が実を結ばない仕組みになっている。


それぞれ家庭で子育てしている女性、市職の皆さん育児
の負担を、女だけで黙って背負っていませんか?
子どもは両親と社会が共同して育てることが、この国の政
策なんですよ。茅野市だけ他の地域と違っていて良いわけ
がありません。

市役所がそうだったら、市内の女たち、男たち、子どもた
ちは、もっと救われないんですよ。

茅野市の女性市議の皆さん、どうかこのことに注目して下
さいね。

9月12日のやまねこ通信を参照して下さい。「貧困と男女共
同参画」湯浅誠の講演、「女たちが元気」はどこの地域の話?
/09/blog-post_12.html

茅野市長は、年一度の男女共同参画推進大会の冒頭であい
さつする。5年前の第一回目に、まだ勉強不足だと謙遜しな
がら、市長は語った。

「男女共同参画は、文化になるほどでなくてはならない」。

これはいったいどんなことを言わんとしているのか、やま
ねこの知る限り、誰も理解できなかった。

共同参画政策の責任者である市長が、まるで高みの見物を
しているかのようで、誠に主体性の欠落した発言ではない
かとやまねこは思った。

けれど、少しずつ学習し、理解を深めてくれればいいので
はないか。今後に期待しよう。このようにやまねこの知る
女性たちは語っていた。

ところが、その後の3回の挨拶も、まったく同じだった。
「男女共同参画は、文化になるほどでなくてはならない」。
意味不明の同じ言葉を、茅野市民は4回も聞かされた。
この4年間、茅野市長柳平千代一氏は、男女共同参画に対
する理解を深める機会が一度もなかったのだろうか?

「男女共同参画なんか、別にどうだっていいんだよ。女た
ちがうるさいからほどほどにしてくれや」

この有言無言のメッセージを、周辺の男性たちに向かって
発信しているのでなかったら、市長は今のままでは済まさ
れないだろう。

今年11月13日(日)に予定されている推進大会。
挨拶で市長は何を語るんでしょうか?!
市の行政に変化がもたらされるでしょうか?
皆さん注目しましょうね。


● 「福島のお母さんの話を聞く会」明日、919
脱原発諏訪連絡会主催の「福島のお母さんの話を聞く会」
が、明日、919日(月・祝日)下諏訪総合文化センター
で午後1時から4時半まで開かれます。

この行事が、ユーストリームで実況配信されることになりま
した。

福島のお母さんのお話を聞く会
http://www.lcv.ne.jp/~mourima/11.8.22datugensuwa.html
14:00以降の部分(西片さんの講演90分は全て、そ
の後の会場からの質問・発言は機材との整合性による)が、
ユーストリームで実況配信されます)。
http://www.ustream.tv/channel/channel
http://www.ustream.tv/discovery/live/all?cc=JP
集会終了

後もいつでも繰り返しでもご覧になることができま
す。会場においでになれない方は、ユーストリームぜひご覧
下さい。

 

うらおもて・やまねこでした。