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2012年2月8日水曜日

小さな勉強会は楽しい、どうやったら「思い」を「意見」にできるか?


@@@@やまねこ通信184@@@@

北陸、山陰など日本海側の豪雪が少し収まった模様。やま
ねこの地域では、道路の圧雪がツンドラ状になり、気温が
緩むとその表層が溶け出して、さながらスケートリンク。
ハンドルが取られる懸念があるため徐行を余儀なくされて
います。

定期試験の後、リポートの採点に思いのほか時間がかかり
ました。

●「記事を毎月持ち寄り時事談義」との見出しを毎日新聞
の読者投稿欄に見つけた。筆者は千葉県流山市の女性、主
婦・辻野やよいさん(70歳)。(24日(土))

丸ごと引用しよう。
「某大学での公開講座修了の日、名残惜しくてお茶を飲ん
だ仲間4人が、偶然毎日新聞の読者であることが分かった。
「じゃあ、これから月一度、自分が感動した記事を持ちよ
て、おしゃべりしましょう」ということになった。

いま私たちが期待を込めて読む記事は、夕刊の特集ワイド
「この国はどこへ行こうとしているのか」である。ここに
はさまざまな分野の人が登場して、生き方や考え方の指針
を示してくれる。一番の関心事はやはり、原発問題である。
のど元過ぎればのたとえ通り、人々の関心もうすれ「やっ
ぱり原発は必要」と、安易な結論にならないか、心配であ
る。

ほかに話題になったのが、元毎日新聞記者・西山太吉さん
の密約控訴審判決だった。密約を暴いたばかりに人生を狂
わされた西山さんの苦渋に満ちた写真が印象的だった」。
(以上引用)

  新聞切り抜きを持ち寄って、勉強会を開く女性たち。
胸にあふれる「思い」を、「意見」にするにはどうやったら
いいのだろう。

それは「意見」となった文章を読む経験を重ねることであろ
う。書物でも良い。毎日の新聞でも良い。そうして「思い」
を伝え語り合う仲間との対話を重ね、必要な知識を補強する。
こうすることで主観的な「思い」を、他の意見や知識を取り
込み、必要なデータを添えれば、客観的な「意見」に発展さ
せることができる。こうすれば、聞く人に対しての説得力も
得られるだろう。

●二つのテキスト:テレビのワイドショーと新聞記事
テレビのワイドショーはある意味、毎日の勉強会であると
やまねこは考えている。さまざまな出来事やニュースをユ
ニットにまとめて、視聴者の前に提示し、スタジオの出演
者が褒めたりくさしたりするセミナーである。

みのもんたら司会者キャスターは、さしずめセミナーリー
ダー、授業の教師であって、視聴者は学生たちである。テ
レビの前の学生たちが、キャスターに向って野次を飛ばそ
うが、居眠りしようが、さわりの箇所でスイッチを切って
外に出かけようが、スタジオには一切伝わらない。

ワイドショー授業では、毎日、ヒーローと悪役が生み出さ
れる。ヒーローはこの数日であれば、ローザンヌ国際バレ
エコンクールで優勝した高校二年の菅井円加さんであろう。
国際的に活躍したアスリートや舞踊家たち。勝負のはっき
りしたコンクールはヒーローを生みやすい分かりやすい世
界である。

一方で悪役は、不倫が明るみに出た芸能人、犯罪の容疑者、
特に女性容疑者、脱税や汚職の議員、公務員、企業家たち
であろう。この人々は、一律に「わるもの」にされてしま
うが、その背後に何が潜んでいるかに対してワイドショー
が迫ることはなかなかない。迫るかのポーズをするけれど、
常に一定のパターンに回収されてしまう。

そのパターンとはいったい何か?それは善玉か悪玉かのパ
ターンである。白か黒かだからこれは分かりすい。根底に
潜むのは、保守的モラルである。これなら視聴者の大多数
が容認するだろう。このように分かりやすいものがテレビ
に向いている。


ワイドショーは毎日の勉強会だとやまねこは述べた。けれ
ど、ここで使われるテキストは、発生とともに、白か黒か
の結論付きで提示されるテキストである。

  テキストとは何か?
ここでテキストというのは、さまざまな角度から解読する
対象のことである。活字で書かれた対象ばかりでなく、演
劇、映画、芸能、さらに大きく広がって都市なども、解読
の対象となるときは、テキストと呼ぶことができる。

テキストとは、さまざまな角度から読むことで、限りない
豊かな意味を生み出すもののことである。
学校で使う教科書(テキストブック)とは、長大な原文か
ら精読にふさわしい一部を幾つも抜き出して、一冊にまと
めたものである。

テキストは、一定の形に定まり、幾度も読み直し出来るも
のであることが望ましい。文章の形に定着していることは
大切なことである。

テレビの最大の欠点は、一過性ということだ。もう一度見
たくても、視聴者の自由にはならない。テレビ局が再放送
を決めるまでは。最近、見逃した番組を有料で販売するこ
とが始まっている。

韓国では、目下見ている番組を再度見たいときは、スイッ
チを押せばできると聞いている。自在に再放送を見られて
初めて、ただの流れてゆく情報の原材料が、再読の対象の
テキストに昇格する。

それでなくては、視聴者がそれぞれの関心で気づかぬまま
に取捨選択した記憶の断片を手繰り寄せて語り合うしかな
いだろう。こうした状況は限りなく伝言ゲームに似ている。

伝言ゲームとは、小さな集団のメンバーが口頭で隣人に伝
言を伝えてゆく。伝言を聞き取った者はそれぞれ自分の関
心を込めて「歪曲」して理解しそれを隣人に伝えてゆく。
最初は「うちの猫が病気」だったのが、何人かに伝言をし
てゆくと「私のお祖母ちゃんが入院して危篤」などと思い
も掛けぬメッセージに変化してゆく。伝言ゲームはこの落
差を楽しむゲームである。現実の社会の中で、デマや噂が
伝言ゲームと同じ「歪曲」を経ているものであることが知
られている。

  「小さな勉強会」
東電福島原発事故の後に、木曾町三岳の木彫家であり子育
て中の母親でもある鈴木真美さんが、仲間とともに小さな
学習会を開いた。脱原発ML(メーリングリスト)を通じて、
やまねこはこのことを知って、早速会いに行ったところ、
鈴木さんたちの活動には前史のあることが分かった。
(やまねこ通信102号)

●小さな勉強会を開くためには、何が必要か?一定の関心
を共有する核となる仲間がまずは必要であろう。さらに共
通のテキストであろう。冒頭の新聞記事持ち寄りの勉強会
が、格好のモデルである。

それぞれの「思い」をまずは語って見る。その際気になっ
た事柄を調べてゆくと、自分の感じた個別問題が一般的問
題の中に配置されることが分かる。こうなったら「意見」
である。この「意見」を仲間に話してみる。

●やまねこは地域の女たち数人で集まり、勉強会を始めた
ばかりである。「遠くの親族より近くの他人」との俚諺に
倣い、「他人の会」となずけた。まだ始まったばかりであ
る。一月一度の会。それぞれ新聞記事を持ち寄ることなど
も考えている。


注:メンバーから「他人会」が良いとの声がありました。
「他人の会」ではよそよそしすぎるとのこと。訂正します。


こうした会を基にして、公民館などの公共の会場に一般市
民に参加を呼び掛ける会を催すのもいい。

たくさんの小さな勉強会が続々生まれるといい。自分の関
心を身近な友人と語り合い、「思い」を「意見」にしてゆ
こう。こうするうち、この国はきっと根底から変わらない
では済まないだろう。このままではでは済まされない。

こんなことをやまねこは考えています。


うらおもて・やまねこでした。


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