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2012年3月22日木曜日

マニラの熱気、顕在する女たちのパワー、フィリッピン・バターン原発視察3泊4日の旅


@@@@やまねこ通信190@@@@

茅野出発時の冬の服装を、少しずつはぎ取りながらマニ
ラに到着。長野県AALA企画の交流と連帯の旅、民衆が止め
た「フィリッピン原発」視察ツアーへの参加である。

マニラは3月末の気温30℃。空港からホテルへのバスには
ガンガンの冷房が利いている。冷房が大の苦手のやまねこ
が冬の襟巻を首に巻くと丁度良いくらい。

出発時の成田空港滑走路の混雑のため1時間半遅れての離陸。
マニラ到着後、30分で到着の予定が1時間半かかった。普段
ではない大渋滞に巻き込まれ、深夜12時半に目的地マニラ
ホテルに到着。イタリア・フィリッピン共催の花火大会が終
わったばかりの時刻であった模様。

●ジープをド派手に改造したジプニーという相乗りタクシー、
オートバイの側面に座席を取り付けたサイドカー、かつて日
本でも使われやまねこも子ども時代何度も乗った自動三輪車
タクシー(通称バタバタ)に混ざり、トヨタ、ホンダ、日産、
ヒュンダイなどの「外車」が、果てしない割り込み運転をし
ながら、進むというより蛇行する大通りでは、車の間を人々
が歩き、車線の表示や交通信号がほとんど見当たらない。

もっとも、交通規則をしっかり順守する日本という国は、世
界の例外の不思議な国と思ったらいいのかもしれない。
この的確なコメントを語ったのは、ガイド役のひでこさん。
これから先三日に渡り、ひでこさんからは、フィリッピンに
ついての新書版3冊以上とも思われる、あらゆる知識を教わる
ことになる。

フィリッピン共和国、人口94,013,200人(世界第12)は10
00の島からなっている。やまねこたちのツアーは、ルソン島
の北部の首都マニラ、それに70キロ離れたバターン州のスー
ビック州を駆け足で回る旅だった。


フィリッピンの地名は太平洋戦争の戦史で語られる地名とし
て、幾つもの聞き覚えがある。
けれどそれが実際にどんな意味をもつ土地であったのかを知っ
たのは、今回の旅が初めてである。

●宿泊は伝説のマニラホテル。スペイン占領下の1912年創業、
1970年代に全面改築。

1935年のこと、1946年に予定されたフィリピンの米国植民地
からの独立準備のため、初代大統領のマヌエル・ケソンは、
マッカーサーに軍事顧問を依頼した。

この間、マッカーサーはマニラ・ホテルのスイート・ルーム
を住居として要求。ホテルを一家の専用に使った。高等弁務
官を兼任して高額の報酬を得ると共に、フィリピン財界の主
要メンバーとなり、また、アメリカ資本の在フィリピン企業
に投資を行い、多額の利益を得ていた。またマニラでアメリ
カ系フリーメイソンに加盟した。

ところが1941128日の真珠湾攻撃とほぼ同時に日本軍は
フィリッピンを怒濤の勢いで侵略。マッカーサーは、マニラ
を放棄してバターン半島とコレヒドール島で籠城。その後マ
ッカーサーとケソン大統領にオーストラリアへ脱出の命令が
米国から下る。

その際に、"I shall return" (必ずや私は戻って来るだろう
/ 私はここに戻って来る運命にある)と言い残し、家族や幕
僚達と共に魚雷艇でミンダナオ島を経由し、オーストラリア
に脱出という「敵前逃亡」を経験した。

日本がポツダム宣言を受諾し無条件降伏をしたので、連合軍
司令官として厚木空港に降り立った時のマッカーサーは、"I 
shall return"の決意を実現した瞬間だったのだ(Wikipedea
一部参照)。この有名なせりふの歴史的背景を、やまねこは
ようやく実感したのでした。

●旅程の二日目は、朝7時半出発、一路スービック州へ。途中、
マニラホテルからバスで1時間半のクラーク元米軍基地を通過
する。シンガポールの国土面積に匹敵するという広大な軍事基
地は、米軍撤退後の今は、広大な空き地。神風特攻隊の最初の
出撃地の痕跡が残っている。

弾薬庫跡が幾つも。核爆弾がまだ残されているとの説が根強い。
足元は灰色の細かい砂。ピナツボ山噴火の折の火山灰だった。
米軍撤退は、冷戦時代の終焉とピナツボ山噴火のため視界が悪
化したことにもよるという。

●この日の昼食は、「よくばりファウンデーション」の招待だ
った。「よくばり」は、国内のさまざまな困難を抱えた人々に
対する支援活動を束ねた組織。大阪に支所があるという。
リーダーはドリーさんという女性。
リーダーのドリーさん。

まずはアメラジアン、すなわち米軍兵士の残された子どもたち
の中で、父が養育しない、父の身元が不明の人々を指す言葉で
ある。グループは、この人々を法的経済的に支援している。

次にはスービックの最大の重工業、韓国系のハンジン造船所で
の勤務条件改善の労働組合を結成したところ、いやがらせに会
った労働者たちの仲間であった。

●最後に、米軍基地が退去後もなくならない売春を防止する団
体ブクロード(Buklod)の女性二人が活動を紹介するために立
ち上がった。フィリッピンでは売春禁止法が敷かれている。最
近の改定では、買春する男性も処罰の対象になった。当然の対
策である。

けれど、今なお夜になると、歓楽街のゴーゴーバーの奥の秘密
の部屋で、闇のビジネスが行われている。

ブクロードの活動家たちは、教育を受け、職業の訓練を受けて、
売春から足を洗うように、女たちに呼びかけている。ブクロー
ドは女たちを、経済的に支援し、売春から脱却することを可能
にするための団体である。

ブクロードに集まる女たち、それに支援者たちは、フルーツジ
ュースの空き箱を集め、洗って解体し、ミシンで縫い合わせて、
色鮮やかなバッグを製造販売している。縦40センチ、横30セン
チ、奥行き10センチのPCが持ち運べる手ごろなサイズである。

やまねこは、この鮮やかな色のバッグを、日本で広めることが
出来ないかと考え、ブクロードのメンバーとの交流を開始した。

10枚仕入れてきた。現地での販売価格は100ペソ、約200
円である。今後の仕入れの輸送費活動費を織り込んで、日本の
マーケットの同種の商品と比較検討したうえで、はたして幾ら
売ったらいいのか、目下、思案中である。

派手でおしゃれで軽くて防水が利いてるから便利。それに女た
ちの人権を守ることに役立つよ!
こう思って買ってもらえたらいいなあ!

最後に、子どもたちが多数参加して、賑やかに歌を歌った。そ
の晩は風光明媚な海岸沿いのビスタ・マリーナホテルで宿泊。
シーフード料理の夕食だったが、海沿いの庭に並べられたテー
ブルの照明が暗くて、いまいち盛り上がらない食事だった。

次回は、バターン原発訪問記、バターン死の行進の真相をお伝
えします。


うらおもて・やまねこでした。

2012年3月17日土曜日

ドイツ国民の約8割が「脱原発は正しかった」と回答、欧州でドイツ語学習大人気、民衆が止めたフィリピン原発


@@@@やまねこ通信190@@@@

●「ドイツ語:世界で学習者急増 欧州危機「独り勝ち」
影響か」との記事が目についた。日本ではなく欧州でのこ
と。特に国家財政が破たんしかけている南欧の諸国、スペ
インやギリシャでのドイツ語熱が高いという。

外国語学習者の数は、第一に言語が使われている国の経済
力に正比例する。世界中で英語が利用されているのは、か
つての大英帝国の経済力と、現在の米国の政治、経済、軍
事的覇権の結果である。

かつて、この国の大学の第二外国語は、フランス語とドイ
ツ語が二大勢力だった。ドイツ語は医学系はじめ理工系の
必須外語とみなされていた。ところがこの20年、科学技
術の世界では、英語論文ばかりが通用するようになった。
ドイツ語の必要性が下落して久しい。
それが欧州では、ドイツ語学習人口が増大したとのこと。

●以下毎日web記事。
【ベルリン篠田航一】欧州が財政危機に見舞われる中、ド
イツが強固な輸出力で黒字を続ける「独り勝ち」の状況を
背景に、ドイツ語学習者が世界で増加傾向にある。

独誌シュピーゲルによると、世界90カ国以上、約150
カ所でドイツ語講座を開く公的文化機関「ゲーテ・インス
ティトゥート(GI)」でドイツ語を学ぶ受講者は昨年、
過去最高の23万4000人を記録した。10年に比べ8
%の増加だ。

GI本部のレーマン代表はシュピーゲル誌に「文豪ゲーテ
やシラーを原書で読みたいとの動機はもはや過去。財政危
機の今、特に若者はドイツ語を仕事に生かそうと考えてい
る」と分析している。

急増が目立つのは危機が深刻な南欧諸国で、特にスペイン
では10年比で25%も増加。ドイツからの厳格な財政規
律順守の要請に反発し、反独デモが絶えないギリシャでも
2割増で、「ギリシャを去り、ドイツ語を武器により良い
就職を目指す受講者が多い」(アテネのGI代表)という。

実際、ビジネス分野でのドイツ語需要は高まっている。ド
イツ経済技術省によると、移民によるドイツでの起業も増
える一方で、09年に国内で新たに設立された40万社の
うち約3割(13万社)は外国出身者の起業だった。ベト
ナム出身のレスラー経済技術相は「外国出身者の起業でド
イツ経済も活性化する」と歓迎する。

一方で、メルケル政権の与党議員が「欧州では今、ドイツ
語が話され始めている」と得意になって語る風潮などには
反発も強い。英大衆紙が「(ナチスの第三帝国に次ぐ)第
四帝国の台頭だ」とドイツ脅威論をあおるなど、一部では
反独感情も高まりを見せている。
(毎日新聞 201236日) 

●移民の人々もドイツ語を学習する。けれどドイツ国民は、
第三帝国の悪夢に警戒感。「第四帝国の台頭」ではなく、
エネルギーの「第4の革命」にしてほしいよとやまねこは
思う。

●事故後、主要国でいち早く「脱原発」を決めたドイツ。
ドイツの新聞、シュピーゲル紙が、日本の「原発ムラ」がまだなくなら
ないことを報道している。

「原発ムラが降伏しない」、「原子力ロビーの抵抗が強い」。さらに「天
下りシステムの説明も交え、日本で原発支持派が力を持つ理由を、
伝えている。

南ドイツ新聞は「70%の日本人は脱原発を望んでいるが、街に出て
デモに参加する人は少ない。むしろ人々はShoganai(しょうがない)と
話す」と伝える。

今月の世論調査ではドイツ国民の約8割が「脱原発派正しかった」と
回答している。

   フィリッピンも民衆が脱原発を選んだ国である。
フィリピンの植民地の長い植民地の歴史、米軍基地がどうして撤去
できたのか。さらに原発をいったん作ったのに、どうやって閉鎖した
のか。

このことを、長野県AALAの会で作成された資料を元に、はじめて学
習した歴史のメモを以下に記します。

フィリッピンは、16世紀前半から19世紀末までスペインの植民地
だった。1898年、米国とスペインの戦争によって、戦争の勝者米
国が、支配することになった。

1933年、米国はフィリッピンの独立にあたり、条件を付けた。それ
は米軍基地を設置することだった。けれどフィリッピンは同意しなか
った。

1939~1945年、第二次大戦がはじまり日本軍が侵略した。
1944年、米国は当時の亡命政府から独立と引き換えに軍事基地
を置くとの合意を取り付けた。
1946年、米国はフィリッピンの独立を承認。

●1951年、「米比相互防衛条約」が締結される。これは日米安保
条約にも似て、外敵に対する集団防衛権を両国に課しており、現在
なお有効である。

1964年、IAEA原子力発電予備調査開始。2年後の調査終了後、
マルコスに建設を奨励。
1976年、建設開始。73年のオイルショックにマルコス危機感。
一基、11億ドル。62万キロワット。
1979年、米国スリーマイル原発事故。同型BNPP軽水炉のため、
一年工事中断。
1986年、マルコス政権崩壊、チェルノブイリ原発事故で、アキノ
大統領が閉鎖決断。23億ドルを使用した。

1987年、フィリピン憲法制定。マルコス政権を打倒した民衆の力
の成果。コラソン・アキノ大統領当選。当選時は基地反対派だった
が、当選後存続派に。
1988年、マルコス収賄疑惑。ウェスティングハウス社に20億ドル
損害賠償請求。(アキノ大統領は再生を断念。現在14人の正規職
員、年間4000万円の維持費が必要)。

1991年に期限を迎える米比軍事基地協定を延長するには条件が
付いていた。上院の過半数の承認を必要とした。
ピナツボ火山が爆発。6月21日。
上院は基地協定の延長を否決した。

1992年、米軍基地撤去。冷戦終結。民衆の力が、主権、自決権
を求め、基地を撤去させた。憲法に撤去に至る手続きを書き込ん
でいたことも成功の理由。
現在の基地跡は、撤去後、経済特区になり、雇用は4万から7万へ。
1999年以後、米軍と訪問協定。合同演習など再開。

以上の通り、チェルノブイリ事故と、マルコス大統領失脚の二つが
引き金だったと見える。

この事情をより詳しく知るために、明日からフィリピン4日間のツアー
に出かけます。
まだ寒い早春の茅野から、日中は30度のマニラへの旅。
さて、どんなことになるのだろう。


うらおもて・やまねこでした。

2012年3月12日月曜日

「国際女性デー」、3.11「あしたが消えたを見る会」(茅野)「今、女たちが原発を止める!」(岡谷)


@@@@やまねこ通信189@@@@
  
●3.11「今、女たちが原発を止める!」(岡谷)
前日のぼた雪はどこへやら、すっかり晴れ上がった温暖な
陽気でした。午後1時、岡谷ハイツ裏から湖畔の通りをア
ピールウオーク。約150人が参加。

2時より「女性たちの話を聞こう」とのイベント。シンガ
ーソングライター美咲さんのトークと歌唱。弁護士・蒲生
路子さん、茨城から避難された湯浅さん。

そしてメインイベント「ミツバチの羽音と地球の回転」の
映画監督・鎌仲ひとみさんの迫力ある講演があった。参加
者240人。


新しい友人との出会い、前からの友人との再会があって、
どきどきした一日。

行事終了後、鎌仲さんを囲んでの談話会を開く。そこに、
被災地から諏訪地域に転居した女性が参加してくださる。
政府・東電に対する批判が言えない被災地の現状。人と人
のつながりが分断されていることがいちばんつらいとのお
話に胸を打たれた。チェルノブイリと同じことが起こって
いるのだ。


310日「あしたが消えた」を見る会、茅野市家庭教育
センター。
昨晩から降り積もった重いぼた雪が20センチばかり。今冬
最高の大雪だった。車をそろりそろりころがして、家庭教
育センターへ。早朝から駐車場の雪かきをしてくださった、
館長・小池芳子さん、みなさまありがとうございました。



出足の鈍ることを懸念していたけれど、用意した折りたた
み椅子を追加することに。参加者の熱心なきもちが伝わっ
た。午前と午後の二回あわせて178人の参加。

茨城から避難して諏訪市にお住いの湯浅智美さんのトーク
がよかった。東電事故以後、子どもの健康が心配で、川崎
の親族のもとに。けれど多摩川の汚染が伝えられた。その
後諏訪の叔父上のお世話で今のアパートに。震災によって
これまでの暮らしが打ち切られてしまった。茨城の友人と
は連絡を交わしていない。今は、必要なものを知人から分
けてもらって暮らしている。お子さんは託児でお預りした。

やまねこの挨拶。
東電福島第一原発事故からはや一年がたとうとしています。
事故後、東京電力、原子力保安院、原子力安全委員会の顔
ぶれは、全部、男性一色でしたし、その後の大本営もどき
の情報隠しは、戦前戦中の光景ではないかと目を疑いまし
た。この国が、1945年の敗戦で少しも改まらなかったこと
が分かったのです。

このままでは済まされない。こう考える方々が実行委員会
を立ち上げました。共同代表のお一人上原佳月さんが「あ
したが消える」を紹介してくださいました。それを見て、
私も仲間に加えていただきました。

本日上映する「あしたが消える」は、23年前の1989年、バ
ブル経済崩壊の一年前に作られました。その3年前にチェル
ノブイリ原発事故が起こっています。

「あしたが消える」は、原発建設と維持管理に従事してい
たお父さんを、病気で亡くした娘の物語です。残された娘
は、父の死に疑問を抱いて、新聞に投稿しました。葛西真
紀子さん26歳二児の母でした。

映画には、原発に対する疑問が幾つも投げられています。
これらの疑問を、電力会社も国も、まともに相手にしませ
んでした。そうして予想された通りの事故が起こったので
す。23年前の予言が的中したのです。

現在、福島の子どもたちが、高濃度の放射能の中に暮らし
ています。

命を育てる女たちが、最も敏感です。58年前の1954年、第
五福竜丸事件を切っ掛けに、「原水爆反対」運動に杉並の
女たちが立ち上がり、3000万人を超える署名が集まり
ました。

福島後、ドイツは脱原発に舵を切りました。緑の党が大き
な役割を果たしています。そのスローガンは、「原発停止、
戦争反対、男女平等」というものです。

国の政策決定を男性だけでする社会は間違っています。脱
原発は社会のあらゆる場における男女平等社会を作ること
と同時進行でなくてはならない。「第二の敗戦」と言われ
る福島原発事故はこのことを知らせてくれました。

昨日の毎日新聞に作家の津島佑子が書いています。
「今も原発を動かしたい人は、巨大な古代神にいけにえを
捧げ続ける神官たちのように見える。そのいけにえは、子
どもたちの未来なのだ」。(以上)

  38日は、「国際女性デー」。
少し前まで国際婦人デーと呼ばれていた、そのものすごい
歴史を、Wikipedeaから掬い取りました。

190438日にアメリカ合衆国のニューヨークで、女性労
働者が婦人参政権を要求してデモを起こした。これを受け
ドイツの社会主義者・クララ・ツェトキンが、1910年にコ
ペンハーゲンで行なわれた国際社会主義者会議で「女性の
政治的自由と平等のためにたたかう」記念の日とするよう
提唱したことから始まった。

国際女性デーにちなむ最大の事件は、1917年にロシアで起
こった二月革命であろう。国際女性デー(当時ロシアで使
われていたユリウス暦では223日にあたる)に首都ペト
ログラードで行われた女性労働者を中心としたデモは、男
性労働者、更には兵士を巻き込んだ大規模な蜂起となり、
最終的には帝政を崩壊に追い込んだ。

日本では192338日、社会主義フェミニスト団体赤瀾会
が初の集会を開催。

国連は1975年(国際婦人年)の38日以来この日を「国際
婦人デー」と定め、現在は国連事務総長が女性の十全かつ
平等な社会参加の環境を整備するよう、加盟国に対し呼び
かける日となっている。

2000年には、国連人権高等弁務官のメアリ・ロビンソン
Mary Robinson、アイルランド初の女性大統領)が21世紀
に向けて「女性が権利の獲得に向けたこれまでの歩みを祝
うと同時に、女性被害者は、いまだに跡を絶たないことを
想起する日」であると言明する文書を発表した。

イタリアでは女性が互いにミモザの花を贈り合い(もとも
と男性が女性に贈る習慣がある)、この季節を迎えると街
中にミモザの花がみられる。

世界中の女たちの熱い思いを、この国にも伝えたいよね。




うらおもて・やまねこでした。


2012年3月5日月曜日

<富の根源>エネルギーを人々が平等に分かち合う世界を実現しよう!映画「第4の革命」

@@@@やまねこ通信188@@@@

33日長野県岡谷市イルフにて、信州ネットSUWA拡大
交流会が開かれました。行事は映画と講演の二本立て。

映画は、「第4の革命 - エネルギー・デモクラシー」。
2010年ドイツで13万人を動員し、2011年、3.11以後の、
6月に、テレビで二度放映され、200万人以上が視聴。
ドイツの脱原発に一定の影響を与え、結果的に66日、
メルケル首相が2022年までの「脱原発」を閣議決定する
ことにつながったドキュメンタリー映画。

この映画を見て、やまねこは再生可能エネルギーのもつ
意味、その重要な役割に、ようやく目を開かれたと思っ
た。

再生エネルギーこそ、アラブ産油国・米国オイルダラー
支配から世界を解放し、その覇権に終焉をもたらし、南
北の経済格差を解消し、CO2問題を解決し、エネルギー
を集中から分散へと導き、<富の根源>エネルギーを世
界中の人々が平等に分かち合うことを可能にするかもし
れないのだ。

こんな世界が実現したらどんなに素晴らしいことだろう!

人類史における第1の革命、農業革命、第2の産業革命、
3IT革命につぎ、再生エネルギーの「第4の革命」で、
世界を根本から変革しようとの、希望と勇気を与えるメ
ッセージに満ちた映画だった。

映画の案内人はヘルマン・シェーア。再生可能エネルギ
ーのための世界協議会(WCRE)代表、オルタナティブなノ
ーベル賞といわれる「ライト・ライブリフッド賞」受賞、
ドイツ連邦議会・社会民主党議員。日本語訳の代表的な
著書『ソーラー地球経済』(岩波書店)

映画の製作国:ドイツ、デンマーク、ノルウェー、フラ
ンス、スペイン、マリ、バングラデシュ、アメリカ、ブ
ラジル、中国。

●以下のあらすじは、岡谷市イルフ上映会場の暗闇で、
やまねこが携帯電話の照明をたよりに走り書きしたメモ
を記述したものです。

映画の舞台は、米国ロサンジェルスから始まった。ガラ
ス張りのビルをすべて太陽光発電パネルで覆ったら、ど
れだけのエネルギーが得られるだろう。

地球上には20億人以上の電力なしで暮らす人々がいる。
デンマークは石油輸入の限界を知って、再生エネルギー
に踏み込んだ。デンマーク・ディスデスに広がる風力発
電の風車。

アフリカ・マリ共和国ザバラ。持続的発展のためには安
定した電力が必要である。
電力がない時は、子どもの分娩を懐中電灯の照明をたよ
りに切り抜けていた。小さな太陽熱発電パネルを、家屋
に設置するのを子どもたちが手伝っている。このことで
子どもたちの就学率が増大する。現存のエネルギー産業
からの抵抗があった。けれど30年で新エネルギーに切り
替え、エネルギー自給国を目指してる。

米国の石油産業エクソンモービル社は1989年が最高収益
の年だった。その後、電気で動くスポーツカーが開発販
売された。エコはおしゃれ!、映画俳優ディカプリオら
富豪のスターたちがこのエコカーを競って予約した。

ドイツでは、どうやって石油産業から自立できるかを模
索し、古い建物を省エネ様式に建て替えている。ソーラ
ー建築のパッシブハウス。暖房用の燃料が少なくて済む
家を建てることでCO2を削減し、雇用を促進している。

中国は石炭の大消費地。ここに太陽熱のソーラーカンパ
ニーを作ることでCO2が削減できる。
アマゾン流域熱帯雨林地域では森林伐採を食い止め化石
燃料の消費を抑制する。

バングラデシュ・ダッカではグラミン銀行のモハメド・
ユヌス氏が登場する。800万人の借主を誇るグラミン
銀行。

グラミン銀行の少額融資のため、識字教育を受けたこと
のない女たちが、読み書きを覚え、自尊心を獲得し、ビ
ジネスを活発に生み出すことにつながった。その創設者、
ユヌス氏は語った。

「人も太陽もエネルギー。自分のエネルギーを生かそう」

ここではソーラーエネルギーの組み立て作業に女性が雇
用されている。農村の女たちの技能向上が副収入の増大
につながっている。

国民の半数が11ドル以下の収入。けれど「低収入は無
収入ではない。低収入は人々の責任ではない。人々は努
力して貧困から抜け出そうとしている」ユヌス氏は力強
い言葉で呼びかけた。

残念ながら日本は一度も登場しなかった。

「第4の革命」の最後のメッセージ。
「反感や不安をあおるのではなく、力を合わせてソリュ
ーション(解決策)を探しだそう」

「新しい繁栄、地域社会にどんなことが出来るだろう!」

●3.11後の脱原発活動の中で見た映画では、『10
年後の安全』(すわこ文化村主催)についで、今回の『
4の革命』が圧倒的に目を開かれるスゴイ映画だった。

世界各地で話題になっている映画が、リアルタイムで東
京に行かなくても諏訪地域で見られるのは、ほんとうに
有難いと思う。

主催者の沖野外輝夫さん、美咲さん、毛利正道さん他の
皆様、本当にありがとうございました。

(「第4の革命」のサイト)
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD20277/story.html

(以下は、長野日報34日一面トップ記事WEB版です)。
●諏訪発自然エネ事業を 岡谷で「信州ネットSUWA」
交流会、更新:2012-3-4 6:01、長野日報

諏訪地域で自然エネルギーの普及を目指す「自然エネル
ギー信州ネットSUWA」は3日、岡谷市中央町のイル
フプラザで拡大会員交流会を開いた。約100人が参加。
ドキュメンタリー映画や講演を通じて、諏訪地域におけ
る自然エネルギーの可能性について考えた。

ドイツを脱原発、再生可能エネルギーへの転換に導いた
とされる映画「第4の革命~エネルギー・デモクラシー」
の上映に続いて、県温暖化対策課長の中島恵理さん(39
=富士見町=が「長野県の自然エネルギー政策の現状と
今後~諏訪地域に期待するもの」と題して講演した。

中島さんは「東日本大震災、原発事故で原子力や化石燃
料に依存した中央集権型で大規模な電力システムの限界
が見えた。今後は地域で自然エネルギーを増やしていく
ことを通じて、地域自身が元気になることが必要」とし、
「(海外から輸入される化石燃料を)自然エネルギーに
代えていくことで地域経済を活性化できる」と指摘した。

その上で、「諏訪地域は太陽光、太陽熱の適地。山には
まきがたくさんある。温泉熱があり、小水力の可能性が
ある。元気な人が多く人的資源もある」とし、「諏訪エ
リアから全国に発信する新しい自然エネルギーの事業、
取り組みが始まれば」と期待した。

閉会後の取材に、信州ネットSUWA運営委員長の沖野
外輝夫さん(75)は「情報を共有し、みんなの知識と意
識が高まれば(自然エネルギーの事業構築は)必ず具体
化する。上からではなく下から仕組みを作ることが大切。
私たちは情報共有のためのターミナルを担いたい」と話
した。

信州ネットSUWAは昨年11月に発足した。現在は15
16団体、約50人で構成している。総会を含む交流会は茅
野市、諏訪市に次いで3回目。次回は今月20日に富士見
町で勉強会を開く予定という。

●長野県温暖化対策課長中島恵理さんの講演は、非常に
分かりやすく、人柄の誠実さが印象に残るお話しであっ
た。パワーポイントも説得力があった。このような女性
が長野県の行政に参加しているというだけで、信州の今
後に希望が持てるような気がした。

中島恵理さんは、知る人ぞ知る、ユニークな経歴の方で
す。関心のある方は、次のURLをクリックしてください。


うらおもて・やまねこでした。

2012年3月4日日曜日

福島から避難の子供が保育園入園拒否される(甲府)、「NOと言えない日本の主体」昨年茅野市でも


@@@@やまねこ通信187@@@@
  
●「冷温停止」を発表した野田内閣。その後は消費税増税
論議に焦点を絞り、原発事故の対応は、若い細野原発担当
相に丸投げの模様。

反発の多いことが容易に予測される消費税増税を、今のこ
の時期に「不退転の決意」で主張することは、一種の原発
事故隠しではないかとの推測を可能にするだろう。

福島第一原発事故調査・検証委員会中間報告が発表された。
この報告は、菅首相が非常時においてどれほど不適切な行
動をしたかを強調することに終始している文書だったとの
評価に、やまねこも同感である。

けれど報告の発する菅首相不適切論の臭気が、あまりに濃
厚であるがため、かえって不自然な印象を残し、何らかの
作為が加えられているのではないかとの感触をこの報告は
与えてしまった。報告を作成した人々は、果たしてこうし
た文書の発する臭気に気づかなかったのだろうか?

果たして一般の市民の目線で通読し、その印象を点検する
手続きを経たのだろうか。やまねこはこのことが不思議で
ならない。

●こうする間に、子どもたちの暮らしに幾つもの苦難が降
りかかっている。

<風評被害>福島から避難の子供、保育園入園拒否される
人権救済申し立て/山梨毎日新聞 33()855分配信。

「福島県からの避難者が東京電力福島第1原発事故による
風評被害を受けたとして、甲府地方法務局に救済を申し立
てていたことが分かった。福島から避難してきたことを理
由に、人権を侵害されていた。同法務局が2日発表した。

同法務局によると、申し立てた避難者は、自分の子供が住
宅近くの公園で遊ぶのを自粛するように、近隣住民から言
われた。更に、保育園に子供の入園を希望したところ、原
発に対する不安の声が他の保護者から出た場合に保育園と
して対応できないことなどを理由に、入園を拒否されたと
いう。

同法務局は、避難者が相手への接触・調査を希望せず、地
域への啓発を強く希望したことから、風評に基づく偏見や
差別をしないよう呼びかけるポスターを掲示。また、自治
体広報紙への広告掲載や自治会でリーフレットの回覧を依
頼するなどの啓発も実施した。【水脇友輔】

●「原発に対する不安の声が他の保護者から出た場合に保
育園として対応できないことを理由」に断ったとの記事。

「福島からの被災者たち」を、「事故を起こした原発」と
同一視するような無知な偏見が保護者たちから出たら、そ
の時こそ、保育園が地域教育の一翼を担う絶好の機会であ
ったのではないか。原発事故での被災者発生、別の地域へ
の被災者の移動というこの国の前代未聞の事態を前に、う
ろたえる保育園の、あまりにも貧困な「事なかれ主義」が
前景に出てしまった。

保護者からこんな意見が出る前から、放射性物質の専門家
を招いて保護者会で勉強会をする機会を準備したらよかっ
た。保育園側が専門家とのコンタクトができなかったら、
山梨県庁、甲府市役所がパイプ役になり仲介の労を取るこ
ともできただろう。


●震災被災者受け入れに際しての「事なかれ主義」の記事
を見て、震災前直前茅野市での、昨年の事件をやまねこは
思い出す。

茅野市の中学校を会場に、県高教組の教研集会が開催され
る予定だった。ところが、茅野市教育委員会が、会場を貸
さないことにした。右翼団体による妨害の恐れがあること
が理由だったという。

以下、長野日報web版の引用です。
「11月に開く県教育研究集会の会場として茅野市教育委
員会に長峰中学校の使用許可を求めたところ、右翼団体に
よる妨害の恐れがあることを理由に会場使用を拒否された
と明らかにした。同協議会は「正当な理由なく会場使用を
拒否することは、集会の自由を保障した憲法に違反し許さ
れない」として、27日に柳平千代一市長と牛山英彦教育
長あてに抗議文を提出する。

同協議会によると、教研集会は「憲法に基づく民主教育の
確立」を掲げ、教職員や市民の研究の場として50年以上
の歴史がある。集会は県内4地区を持ち回りで開催してお
り、今年は南信地区の茅野市を候補地として選んだ。11
月5、6日の2日間の予定で、参加者は約600人、市民
館を全体会場、長峰中と茅野高校を分科会会場として使用
する見込みだった。

昨年12月中旬に長峰中の使用許可を得ようしたが、牛山
教育長の意向で許可できないとの連絡を受けたという。こ
のため、改めて牛山教育長に問い合わせたところ、数年前
に市内で開かれた憲法擁護のための集会に市の施設を貸し
たことをめぐり、右翼団体の抗議を受けたことを理由に挙
げたとしている。

これに対し、牛山教育長は「打診があったことは事実」と
した上で、「正式な申し入れではなく、下打ち合わせのつ
もりで過去のことを含めて率直にお話しした。人間同士の
話し合いの中で、市内の事情を受け止めて最終的に判断し
てくださると思っていた。こうした事態になったことは誠
に残念」と話した。柳平市長は「教育長の判断を尊重する
」としている。

同協議会は「過去に教研集会が右翼団体の妨害を受けたこ
とはなく、会場使用を拒否されたこともない」とし、「極
めて異例の暴挙」と強く抗議する構え。同市での開催は断
念し、他の市町村の会場を検討中という。

●やまねこが興味深く思うのは、長日の紙面を読む限り、
教育長は正式な申し入れを受けてはいないから「拒否」で
はないと答え、高教組は「使用許可が出なかった」すなわ
ち「拒否」と受け止めていることである。

校舎の使用をめぐる両者の話し合いの中で、「数年前に市
内で開かれた憲法擁護のための集会に市の施設を貸したこ
とをめぐり、右翼団体の抗議を受けた」との物語を、教育
長は高教組に語った。

高教組はこの物語を使用「拒否」と受け止めた。過去事例
を語ることは、校舎使用を拒否したいとの暗黙のメッセー
ジとして機能したのである。もしも使用の「拒否」でない
のなら、教育長はどうして使用許可を追っかけて出さなか
ったのだろう?

●やまねこがさらに面白く思うのは、「拒否」の意思を、
教育長が言明しなかったことである。教育長は意思の表明
を避けている。

「原発に対する不安の声が他の保護者から出た場合に保育
園として対応できない」と語った甲府の保育園は、仮想事
例にもとづいて避難者の子どもの入園を拒否している。

仮想事例ではさらに、保育園の責任者の意思ではなく、保
護者の意思に問題がすり替えられている。

この二つの例はいずれも、「NO」という主体の意思の表明
が回避された例であり、にもかかわらず、どちらにおいて
も「NO」の意思が相手側に伝えられたのだ。

NOと言えない日本の主体」の「あうんの修辞学」ある
いは「あうんのコミュニケーション」と言えるだろう。


NOと言わない「あうんの修辞学」が、「事なかれ主義」の
背後に控えている。この両者が、この国のメンタリティー
の背後に控える構造なのである。(36日追加)

こんなやりとりしてたら、この国の外の、誰にも理解して
もらえないだろうねとやまねこは危惧するものである。

「あうんのコミュニケーション」の晦渋に紙幅を割いたた
め肝心の論点が最後になってしまった。

●最後に中学社会科の復習をしましょう。

質問:みなさん、もしも「憲法擁護のための集会に市の施
設を貸したら右翼団体の妨害を受けた」というようなこと
があれば、どうやって解決すればいいのでしょう?

答:警察に訴えることです。某団体の抗議に折れるのでは
なく、憲法に基づく法治国家の自治体として、一刻も早く
警察に保護を求めるといいのです。

どうしてこんなこと、今頃念を押さなくてはならないので
しょうね?茅野の地にもキナ臭いにおいが漂っています。


うらおもて・やまねこでした。