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2012年3月17日土曜日

ドイツ国民の約8割が「脱原発は正しかった」と回答、欧州でドイツ語学習大人気、民衆が止めたフィリピン原発


@@@@やまねこ通信190@@@@

●「ドイツ語:世界で学習者急増 欧州危機「独り勝ち」
影響か」との記事が目についた。日本ではなく欧州でのこ
と。特に国家財政が破たんしかけている南欧の諸国、スペ
インやギリシャでのドイツ語熱が高いという。

外国語学習者の数は、第一に言語が使われている国の経済
力に正比例する。世界中で英語が利用されているのは、か
つての大英帝国の経済力と、現在の米国の政治、経済、軍
事的覇権の結果である。

かつて、この国の大学の第二外国語は、フランス語とドイ
ツ語が二大勢力だった。ドイツ語は医学系はじめ理工系の
必須外語とみなされていた。ところがこの20年、科学技
術の世界では、英語論文ばかりが通用するようになった。
ドイツ語の必要性が下落して久しい。
それが欧州では、ドイツ語学習人口が増大したとのこと。

●以下毎日web記事。
【ベルリン篠田航一】欧州が財政危機に見舞われる中、ド
イツが強固な輸出力で黒字を続ける「独り勝ち」の状況を
背景に、ドイツ語学習者が世界で増加傾向にある。

独誌シュピーゲルによると、世界90カ国以上、約150
カ所でドイツ語講座を開く公的文化機関「ゲーテ・インス
ティトゥート(GI)」でドイツ語を学ぶ受講者は昨年、
過去最高の23万4000人を記録した。10年に比べ8
%の増加だ。

GI本部のレーマン代表はシュピーゲル誌に「文豪ゲーテ
やシラーを原書で読みたいとの動機はもはや過去。財政危
機の今、特に若者はドイツ語を仕事に生かそうと考えてい
る」と分析している。

急増が目立つのは危機が深刻な南欧諸国で、特にスペイン
では10年比で25%も増加。ドイツからの厳格な財政規
律順守の要請に反発し、反独デモが絶えないギリシャでも
2割増で、「ギリシャを去り、ドイツ語を武器により良い
就職を目指す受講者が多い」(アテネのGI代表)という。

実際、ビジネス分野でのドイツ語需要は高まっている。ド
イツ経済技術省によると、移民によるドイツでの起業も増
える一方で、09年に国内で新たに設立された40万社の
うち約3割(13万社)は外国出身者の起業だった。ベト
ナム出身のレスラー経済技術相は「外国出身者の起業でド
イツ経済も活性化する」と歓迎する。

一方で、メルケル政権の与党議員が「欧州では今、ドイツ
語が話され始めている」と得意になって語る風潮などには
反発も強い。英大衆紙が「(ナチスの第三帝国に次ぐ)第
四帝国の台頭だ」とドイツ脅威論をあおるなど、一部では
反独感情も高まりを見せている。
(毎日新聞 201236日) 

●移民の人々もドイツ語を学習する。けれどドイツ国民は、
第三帝国の悪夢に警戒感。「第四帝国の台頭」ではなく、
エネルギーの「第4の革命」にしてほしいよとやまねこは
思う。

●事故後、主要国でいち早く「脱原発」を決めたドイツ。
ドイツの新聞、シュピーゲル紙が、日本の「原発ムラ」がまだなくなら
ないことを報道している。

「原発ムラが降伏しない」、「原子力ロビーの抵抗が強い」。さらに「天
下りシステムの説明も交え、日本で原発支持派が力を持つ理由を、
伝えている。

南ドイツ新聞は「70%の日本人は脱原発を望んでいるが、街に出て
デモに参加する人は少ない。むしろ人々はShoganai(しょうがない)と
話す」と伝える。

今月の世論調査ではドイツ国民の約8割が「脱原発派正しかった」と
回答している。

   フィリッピンも民衆が脱原発を選んだ国である。
フィリピンの植民地の長い植民地の歴史、米軍基地がどうして撤去
できたのか。さらに原発をいったん作ったのに、どうやって閉鎖した
のか。

このことを、長野県AALAの会で作成された資料を元に、はじめて学
習した歴史のメモを以下に記します。

フィリッピンは、16世紀前半から19世紀末までスペインの植民地
だった。1898年、米国とスペインの戦争によって、戦争の勝者米
国が、支配することになった。

1933年、米国はフィリッピンの独立にあたり、条件を付けた。それ
は米軍基地を設置することだった。けれどフィリッピンは同意しなか
った。

1939~1945年、第二次大戦がはじまり日本軍が侵略した。
1944年、米国は当時の亡命政府から独立と引き換えに軍事基地
を置くとの合意を取り付けた。
1946年、米国はフィリッピンの独立を承認。

●1951年、「米比相互防衛条約」が締結される。これは日米安保
条約にも似て、外敵に対する集団防衛権を両国に課しており、現在
なお有効である。

1964年、IAEA原子力発電予備調査開始。2年後の調査終了後、
マルコスに建設を奨励。
1976年、建設開始。73年のオイルショックにマルコス危機感。
一基、11億ドル。62万キロワット。
1979年、米国スリーマイル原発事故。同型BNPP軽水炉のため、
一年工事中断。
1986年、マルコス政権崩壊、チェルノブイリ原発事故で、アキノ
大統領が閉鎖決断。23億ドルを使用した。

1987年、フィリピン憲法制定。マルコス政権を打倒した民衆の力
の成果。コラソン・アキノ大統領当選。当選時は基地反対派だった
が、当選後存続派に。
1988年、マルコス収賄疑惑。ウェスティングハウス社に20億ドル
損害賠償請求。(アキノ大統領は再生を断念。現在14人の正規職
員、年間4000万円の維持費が必要)。

1991年に期限を迎える米比軍事基地協定を延長するには条件が
付いていた。上院の過半数の承認を必要とした。
ピナツボ火山が爆発。6月21日。
上院は基地協定の延長を否決した。

1992年、米軍基地撤去。冷戦終結。民衆の力が、主権、自決権
を求め、基地を撤去させた。憲法に撤去に至る手続きを書き込ん
でいたことも成功の理由。
現在の基地跡は、撤去後、経済特区になり、雇用は4万から7万へ。
1999年以後、米軍と訪問協定。合同演習など再開。

以上の通り、チェルノブイリ事故と、マルコス大統領失脚の二つが
引き金だったと見える。

この事情をより詳しく知るために、明日からフィリピン4日間のツアー
に出かけます。
まだ寒い早春の茅野から、日中は30度のマニラへの旅。
さて、どんなことになるのだろう。


うらおもて・やまねこでした。

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