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2012年6月1日金曜日

ちの男女共生ネット第1回勉強会、成功裡に終了、丸岡秀子はなぜ今必要なのか?


@@@@やまねこ通信198@@@@
  
◎ちの男女共生ネット第一回勉強会が5月26日終わりました。幸い
好天に恵まれ、50人をこえる方々が参加してくださいました。
託児サービス付きだったので、子育て中の若い母親、それに夫婦
での参加者があり、老若男女がほどよく混ざり合っていました。

日程は、前半が『丸岡秀子 ひとすじの道』上映、後半が映画を踏
まえてのワークショップでした。

休憩をはさんでのワークショップでは、68人の5グループに分か
れ、丸岡秀子について。この国の社会は男女平等だろうか?どの
点で平等であり、どの点では不平等か?男女平等にするにはどう
したら良いだろう?などの課題について真剣に語り合いました。

18分ほど語り合ってから、報告者が立ちあがり、グループごとの
話題を全員に伝えました。

426日、ちの男女共生ネット、キックオフの会以後、7人の運
営委員、それに会員は、それぞれの個性を生かし、力を合わせて、
第1回勉強会開催に漕ぎつけました。

様々な仕事がありました。チラシ作成と配布、前売券作成、前売
り券販売と委託、様々な団体への配布、幼稚園でのチラシ配布取
り付け、新しい会員の発掘、会員への連絡、託児サービスの保育
士さん探しと連絡、家庭教育センターから敷物や長座布団の運搬、
保険の加入、会場の使用届、司会と報告者の打合せ、運営委員の
映画試写会、イベントの記者会見、イベントの資料作り、アンケ
ート作り、次回のイベントチラシ作り、チラシや資料の点検作業、
受付業務、駐車場案内係のアルバイト学生との連絡、謝礼支払い、
会場キャンパスの掲示配置と片付け、臼田訪問ビデオ編集、ワー
クショップでの報告者選びの指示、26日イベント後の打ち上げ会
場探しと予約など、とても書ききれません。

打ち上げは、蓼科ビーンズ、ゆば工房で生ゆばのフルコースを頂
きました。女性が一人で経営しているお店。応援できるといいな
と思いつつ。

◎この中で、たくさんの新しい出会いがありました。当日の入会
者もあって、現在会員数31人です。

第2回728日(土)は丸岡秀子著『ひとすじの道』第1部の読書
セミナーです。3部にわたる長編小説。読み通すには時間が必要
ですからなかなか大変です。

目下、『ひとすじの道』第1部の発表者を45人募集してます。
それぞれの関心での読後感を、原文を引用しながら15分ほどで発
表していただきます。

始めにストーリーの流れが原文の引用付きで解説されるので、セ
ミナーに参加するだけで、一冊読んだような気持になれ、得るも
のがあるイベントにしたいと思っています。


◎次は、当日の資料「今、なぜ、丸岡秀子が必要か?『ひとすじ
の道』に「わたしたちの物語」を見つけよう!」と題した文章で
す。筆者はやまねこ。

◎自伝小説『ひとすじの道』を基にしてこの映画は作られました。
信州中込育ちの丸岡秀子は生みの母を生後10か月で失い、祖母の
下で育てられ、「ばあさん育ちは三文安」との陰口の中、労働の
厳しさと喜びを祖母から教わりました。小説は、育ての母である
祖母への鎮魂の書でもあります。

丸岡秀子は1955(昭和30)年、平塚らいてうに勧められ、第1
母親大会代表になりました。女たちが提唱した「母親大会」は、
戦後の民主的社会を自分たちの手で生み出すことに意欲的な女
たちの活動の中心でした。前年1954(昭和29)年、第五福竜丸
事件を機に、杉並の母達が原水爆禁止署名を開始。3000万筆を
集めた時代でもありました。この時期、陰では原子力平和利用
の名のもと、原発計画が進んでいたのです。

男女平等の進んだ北欧、オランダ、デンマークの国々では、戦
後の人手不足の時代や経済成長期に、女性が職場に進出し、政
治、経済、社会、教育、医療のあらゆる面で政策決定に参加し
ました。その結果、子育て、教育の制度が改善され、社会全体
が活性化し、暮しの豊かさが感じられる仕組みが生み出されて
います。

しかし日本社会はこの道を選択しませんでした。1945(昭和20
年敗戦後の平和憲法は男女平等を謳っています。ところが戦後
間もなく米ソ冷戦が激化し、資本主義経済の極東における看板
として、日本の経済成長が最優先されるようになる中、民主化
政策特に男女平等政策は改革が停止しました。母親大会のころ
が、女性の力を示したピークだったのです。その後、戦前体制
への逆行が始まります。高度成長とその後のバブル経済の時代、
女たちは「企業戦士」の夫を支える「専業主婦」として、再び
家庭に戻りました。
  
現在、世界経済フォーラム「世界男女不平等指数」(2010(平
22)年)で、日本は世界137カ国中97位の不名誉な地位にい
ます。 
    
2011(平成23)年3.11は多数の犠牲者を生み、国民が何も知ら
されていなかったことを確認した「第二の敗戦」でした。すで
に非正規雇用が世代性別を超えて広がっています。社会のあら
ゆる場面で女性が男性と同様に政策決定に参加できる社会を作
り、女性も男性も「自分らしい」生き方を選び、自然エネルギ
ーの方向に転ずる以外、この国の未来はあり得ません。

3.11後の今日を、1955(昭和30)年第1回母親大会の歴史に同
期させ、丸岡秀子の活動に学び、応用することで、この国の社
会を男女平等に向かって進めてゆきたいと、私たちは考えてい
ます。(以上)


うらおもて・やまねこでした。

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