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2012年6月16日土曜日

富山県魚津市明治30年代の女性教員、魚津市立大町小学校滞在記


@@@@やまねこ通信200@@@@
  
魚津市に4日滞在した。612日-15日。魚津市立大町小
学校を訪問し、保存されている明治期の文書を閲覧させ
ていただいた。

魚津城跡に建てられた校舎には、海からの風がほどよく
流れ込む。海岸から徒歩6分ほどの距離、海抜4メートル
の地である。

毎日の授業のチャイムが鳴る。音楽授業の響きが遠くか
ら伝わる。休み時間にはロック風のBGM、別の日には
モーツアルトのトルコ行進曲。どことなく、のびのびし
た校風が伝わってくる。4月に赴任された女性校長、4
に昇格された男性教頭が先頭に立って駆け回っておられ
る広々した校舎。

全国の旧市街の例にもれず、中心部に位置する大町小学
校も現在各学年とも1クラスである。新しく住宅が建設
される市の周辺部で子供の数の多い地域には、1学年3
4クラスの学校もある。

大町小学校は魚津の中心地に明治6年に建てられた魚津町
第一番小学校に歴史をさかのぼる。一番小学校はまもな
く明理(めいり)小学校に。明治初期のめまぐるしい教
育制度改革にともなってやがて魚津町立明理尋常高等小
学校と名を改めた。

明治286月魚津尋常高等小学校となってからは、昭和16
4月まで続いた。同年、大町国民学校と改名され、敗戦
後、大町小学校となり、今に続いている。

魚津市は幾度も大火に見舞われた。魚津尋常高等小学校
も火災に遭っている。大町小の前身魚津尋常高等小学校
から枝分かれした村木小学校は1956年(昭和31年)、大
によって校舎が全焼した。だから魚津市内では旧い文
の発見は望み薄と伝えられている。

やまねこがなぜ、魚津市の小学校の歴史に関心を抱くの
だろう?
やまねこの祖母、明治20年生まれの旧姓奥田アヤは、子
も時代魚津に住み、やがて小学校の訓導(教員)にな
た。やまねこは子ども時代、魚津の話を祖母からいく
となく聞いていた。

祖母の父親が旧制第三中学校(現在の県立魚津高校の前
身)の開設時に教員として富山から赴任したのに伴って、
一家が転居した模様。祖母の父親奥田弥之助は漢文と倫
理を教えていた。

一家がどのあたりに住んでいたのだろう。どの学校に通
ったのだろう。町並みはどんなだっただろう。どうやっ
て教員になったのだろう。こんなことをやまねこは漠然
と考えていた。

まだ形が分からないけれど、やまねこは「自分」の重要
な一部である、祖母の「魚津物語」を、何らかの形で表
現しようと以前から考えていた。

今年5月中旬に魚津市に旅行し、最も旧い大町小を訪問し
た。目算があったわけではない。ところが、校長先生に
ありのままを相談したところ、明治期の卒業名簿、旧職
員についての文書が保管されていることが分かった。

やがて、高等小学校卒業生名簿に奥田アヤの名が記載さ
れ、旧職員履歴書に名前が見つかることが、調べていた
だいた結果、判明した。


やまねこの祖母、旧姓奥田アヤは、現在の大町小学校の
前身、魚津尋常高等小学校の高等科を3月に卒業して、
10月から准教員となり、幾度もの講習を受けて、正式の
教員である訓導(くんどう)に昇格したことを示す記録
が残されていた。明治35年から41年の間。アヤが15歳か
ら20歳までの時期であった。


今回の訪問は、いくたびもの火災にもかかわらず、その
時々の教職員の方々の配慮のお蔭で、大切に保管されて
きた文書を自分の眼で確かめ閲覧することが目的だった。

「卒業生名簿・尋常科明治41年~昭和29年」、「高等科
卒業生名簿 明治15年~昭和22年」、それに厚さ7㎝和
紙を綴り合わせた「魚津尋常高等小学校旧職員履歴書綴
(明治20年頃より大正12年頃迄)」の3点。それに90年誌、
100120誌に記された、大町小旧教員広田寿三郎氏
の論文などが閲覧できた。 
       
はじめのうち、1978年(昭和53年)91歳で他界した祖母
アヤが魚津尋常高等小学校に在籍したことを記す文書が
存在することに感動するばかりだった。

けれど卒業生名簿を眺めるうち、同時代の高等小学校の
出席状況、卒業状況の男女別、卒業生の進路に関心が高
まった。

さらに、教員養成の制度、師範学校の制度が確立してい
なかった時代、当時の小学校教員たちがどんな経歴で教
職に就いたのか、特に女子教員たちがどのように就職し
たかを、奥田アヤと同時期に教員を務めた同僚たちの経
歴を読み込んで調べようと考えるようになった。

魚津市立大町小学校保管文書は、かけがえない一次資料
として、魚津市における明治期の教育の歴史、女子教育
史、教員養成史に、やがて然るべき位置を占めるように
なるであろう。

大町小学校では、毎日の授業に並行して、保護者の授業
観、地域懇談会、個人面談などの校内の大きな行事が
行われている。その重要さにおいて、年一二をあらそう
行事であろう。

そのざわめきを遠くに聞きながら、やまねこは海風の流
れる一階の静かな小会議室で、思うままに文書に読みふ
ける至福の時間を過ごし、コピーを1500枚ばかり取らせ
ていただいた。

昼食時には、職員室で、教職員のみなさんと、欠席者の
給食をご馳走になる。料理2、3種にパンあるいはご飯、
牛乳パックにデザートがついた立派なランチ。学食だっ
たら500円では済まないだろう。滞在したビジネスホテ
ルの朝食よりも美味しかった。

朝の7時半には出勤し、一日の仕事を開始する日課の先生
方、校長先生、教頭先生。教職員のみなさんが子供たち
に向って開かれた姿勢を常に保っておられるところに感
銘を受けて帰ってきた。

資料を得るに当たってお世話下さったみなさま、本当に
うございました。

魚津の浜で獲れた大漁である資料。そこからなにを見つ
けどのように料理するかは、ひとえに今後のやまねこの
仕事に掛かっている。


頭の中は、まだでも陸でもなく形の無い「やみわだ」
である。一般的歴史に還元されない不透明な何らかの物
語を、そこから見つけ出すことができるだろうか。


これからが闇と光を分ける仕事の始まりだ。


うらおもて・やまねこでした。

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