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2012年6月23日土曜日

魚津のキトキトの魚が食べられなくなるのは嫌だ!幸運な高齢者たちよ目覚めよ!


@@@@やまねこ通信205@@@@

やまねこ通信200号から205号は、やまねこの魚津行きと、
そこで眼にし味わった目が覚めるように新鮮で安く美味
しい魚の話題をお伝えした。

それだけではなかった。やまねこは自身の物語追求のた
め、魚津で人々と交流するなか、一度だって嫌な思いを
することがなかった。

魚津の市民の方々は、小学校、寺院、夜9時まで開いてる
市立図書館、寿司屋、市役所、ビジネスホテル、ユニク
ロ、コンビニの店員さんに至るまで、一人残らずどの人
も親切だった。魚津ってホントに良い所!

魚津の旅は三泊四日のユートピア。やまねこはいたく幸
運に恵まれたと思っている。
    
けれど、最大の幸運は、前期高齢者のやまねこが、125
年前に生まれた祖母の十代の頃の事蹟を追求しに、その
土地を訪問することができたことだと思う。同じ土地に
時代が変わっても人々の暮しが営まれ、子どもたちが育
っていることを確かめることがてきたことだと思う。

この幸福な旅をしたやまねこは、運が良かっただけでは
済まされないだろう。

3.11東日本大震災と東電福島原発以後の不幸は、人命を
奪われ暮しを奪われた多数のいたましい方々の他に、今
回のやまねこのような追求をしたくても、するすべを失
った方々が多数生まれたことである。

東電福島原発から30キロ圏内、50キロ圏内、80キロ圏内、
100キロ圏内の人々の暮しは、今後50年後、100年後、ど
うなっているだろう。

「環境倫理の三原則」に、「自然の生存権」「地球有限
主義」と並んで、「世代間倫理」というものがある。
現在を生きている世代は、未来を生きる世代の生存可能
性に対して責任があるという考え方である。

やまねこが思うのは、未来を生きる世代も自身の歴史の
土地に立って、事蹟を追求する権利があるということで
あり、ところが原発事故の30キロ~80キロ圏では、おそ
らくその権利が奪われるだろうということである。

事故発生26年後のチェルノブイリでは、今なお、30キロ
圏内立ち入り禁止、事故現場から北東へ向かって約350km
の範囲はホットスポットが多いため、農業畜産禁止である。

● やまねこのように祖先の地を踏むことが出来た高齢
者たちは、「運が良かった」で話を閉じるわけにはゆか
ないだろう。

やまねこが愛読してやまない文芸評論家斎藤美奈子さん
は、『戦火のレシピ・太平洋戦争下の食を知る』(岩波
アクティブ新書、2002年)という写真入りの本を出して
いる。

戦時下で野菜の代わりに道端の雑草、芋のつるが食され
たこと、生魚がなくなり、代って「鰯の**」と称して、
煮干しを利用した料理、米ぬかを炒ったチョコレートな
どが婦人雑誌で紹介されたことを詳しく記している。
著者は「あとがき」に、こう書いている。

「戦争中の食について体系的に書かれた本はほとんどあ
りません。このような題材は、とかく感謝や反省の材料
に使われがちです。

「今の、豊かな暮らしを感謝しましょう」。
「今の贅沢な暮らしを反省しましょう」というわけです。

しかし、当時の暮しから、耐えること、我慢することの
尊さを学ぶという姿勢は違うような気がします。

こんな生活が来る日も来る日も来る日も続くのは絶対に
嫌だ!

そうならないために、政治や国家とどう向き合うかを私
たちは考えるべきなのです」。

福島においては、「そうなってしまった」のだ。福井県
大飯では、「そうならない保証のない」再稼働が決定さ
れてしまった。

魚津の美味しい寿司が食べられなくなるのは嫌だ!
ここから出発したらどうだろう!

富山のキトキトの魚をこれからも食べるには、能登半島
の向こう側の若狭湾沿岸原発銀座を黙認するわけにはい
かない。


安全基準が福島事故以前と変わらない大飯原発再稼働を
黙って見過ごすことは出来ない!

再度のフクシマを招かぬために、「政治や国家とどう向
き合うかを私たちは考えるべきなのです!」

これこそ、幸運な高齢者であるやまねこたちの仕事では
ないだろうか!


うらおもて・やまねこでした。


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