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2012年11月9日金曜日

「十代に何を食べたか?」400字作文をお寄せください!男性のみなさんもどうぞ!


@@@@やまねこ通信231@@@@

ちの男女共生ネットは11月24日(土)の第4回はいつ
もとは趣向を変え、料理の会を開きます。地域で伝えられ
た料理を共に作り、共に食しながら、「子ども時代に何を
食べたか」を語りあう行事です。

無料託児付で30人になり次第締め切ります。お申込みはお
急ぎください。

幾度かの会議を開いて、メニューや作業の分担を相談して
います。茅野に住む人々が当たり前のように食べていた食
事を再現したい。そのため日ごろ作り慣れた地域の「賢女
」たちに教えを乞うことに。

枝豆をすりつぶした「ぬたもち」、アブラエというゴマを
まぶした「えごまもち」がメイン。さらに諏訪地方の名物
塩漬けイカとキャベツの和え物、薄揚げを広げ、野菜を巻
いて干瓢で結び、鍋でごとごと煮る料理など、子どもたち
も加わって、全員で作る予定です。

こうした料理を味わいながら、「十代に何を食べたか?」
を語り合おうという、欲ばりなイベントです。

●切っ掛けは、『10代に何を食べたか』平凡社+未来社編
(平凡社ライブラリー、1300円)という大勢の執筆者から
なる書物。丸岡秀子が「三度三度の三杯飯」をそこに寄せ
ていました。

丸岡秀子(1903-1990)は「わたしの小学生時代は、三杯
飯めしに味噌汁と野沢菜が、毎日の食事でした」と書いて
いる。

『ひとすじの道』第一部にあったように「没落庄屋のぼん
ぼん育ちの祖父が、五反百姓」となったこと。ようやく収
穫した米から年貢を納め、それまでにたまった借金を返し
た後の自家用米は、翌年の23月になると底を突くこと。

毎日のごはんには、ほとんど麦が入っており、「おほうと
う」といううどんが夕食のことも何度もあった。毎月一日
と二十八日には、塩鮭の切身か干し鰯。

山国だから、海産物には縁がなく、かまぼこは板に乗って
浮かんでいると思っていたとの笑い話も。

けれど、一年中、旬の野菜が食べられた。さやえんどうが
出来ると春が来たことを告げられるようで、隣近所に「初
物でごわす」と分け歩いた。

おやつは蒸したじゃが芋、煮干しなど。鶏は家で飼ってい
たから、卵は取れたが、客用、贈答用に使われ、自家用で
はなかった。

長野県立高等女学校に入学し、寮生活が始まると、おかず
には毎日、魚、卵がついて、カレーライスも始めて食べる。
生徒たちの食欲は旺盛で、大釜からの手盛りで、3杯飯は普
通、45杯お代りする友人も多かった。

「明治生まれのわたしたちは、米で育ち、米で作り上げた
ちゃきちゃきの体である。それも、日本の米だけで育てら
れた。米は食生活の根源にかかわるもの」。丸岡秀子は減
反政策を批判してこう結びます。

●「もぎたての野菜たちと」落合恵子。高校時代に食欲不振
になった。このことに祖母が気づき、狭い庭にトマトやキュ
ウリを植え、もぎたての野菜を食べさせてくれた。炊き立て
のご飯がしみじみおいしいことを知って、秋には食欲を回復
した。

沖縄料理のうまさを目取真俊、「かぼちゃと伊那谷の昆虫食」
本多勝一、萱野茂「山も川もかつてはアイヌの貯蔵庫」、角
田光代「うちごはん、そとごはん」、郷静子「銀めしがまぶ
しかった頃」、溝上泰子「村ぜんぶが食べ物だった」。

平凡社ライブラリー『十代に何を食べたか?』の結びを鷲田
清一が書いている。「食べないと死ぬ」から、「食べ過ぎる
と死ぬ」へ、のタイトル。貧の時代には食に共同性があった。
けれどその中に「差」が忍び込んでいたこと。だから子ども
たちは級友に弁当を見せることを嫌った。飽食のダイエット
の時代はカップヌードルに示されるように、「食」が限りな
く貧しくなった時代である。

●「400字作文」の募集に応え、すでにお送りいただいた文章
を紹介します。それぞれの世代と地域が色濃く反映され、奥行
深く味わいがあって、どれも引き込まれる内容ばかりです。
( )内に仮名と世代を付しました。

◎ 「十代の食の思い出」     
小学校3年生が第二次世界大戦の開戦でしたので、十代の食べ
盛りが食糧難の時代でした。大家族の我が家でしたが家業が鮮
魚中心の田舎の商家でしたので食には恵まれていましたが、父
が昭和19年の最後の召集で、22年の最後の引揚げ船で帰りまし
た。この間母は、町の開墾のメンバーとなったり、農家の米作
りの手伝いをし、お米を頂いていました。開墾地の畠仕事は私
たちも手伝えました。小麦、大麦、餅あわ、きび、もろこし、
じゃがいも、さつまいも等や野菜作りで本物の味が楽しめまし
た。自家製の小麦粉のすいとんほうとうの香りと舌ざわりは今
も恋しいです。ご飯は雑穀でふやし、時にはおかゆも沢山作る
のでおいしかった。この外に忘れられない味が、サナギです。
製糸工場に教婦をしていた叔母が、週末私たちの為にリュック
いっぱいにサナギを運んでくれました。このお蔭で私たちは病
気しない家族でした。  (諏訪市、はつえさん、80)

*やまねこ感想:サナギをリュックにいっぱいとは!若々しく
お元気なはつえさんのパワーの源が理解できたような気がしま
す。
                   
◎「十代前半食べたもの」
主食:ご飯が少し足りない時は、メリケン粉を水で練ってみそ
汁に入れて食べた(つみれ)。冷ごはんがあると、昼夕は、焼
きおにぎりにして(ホーロクで)砂糖みそをつけて食べた。新
米を炊いた時は、さんまのおかずにとろろごはん。
行事食:お盆には必ずのたもちを食べた。正月はお雑煮が焼き
もち。春と秋のお彼岸等には、おはぎを食べた。お盆の13日と
16日は、そうめん、うどん(乾麺)、天ぷらを食べた。1231
日のお年越は鮭だった。33日、55日は赤飯を食べた。
汁物:みそ汁が多かった。煮干しの出し、自家製の味噌。しょ
うゆ汁も時々。田んぼで取れるつぶ(貝)と大根のみそ汁(秋、
冬にかけて)。凍り豆腐を煮ものに使った。
乳:牛乳の搾りたてを沸かして飲む。家で飼っていた山羊の乳
を沸かして飲む。
漬物:野菜の塩もみ、塩イカ入りも多かった。保存用に野沢菜、
沢庵、大根菜、渋柿の塩漬け。
主菜:おかず、肉:馬肉はすき焼き、煮物。鶏肉は家でつぶし
た鶏を内蔵も。骨はたたいて団子にして鍋物へ。
鯨肉は刺身、竜田揚げ、ステーキ風。醤油をつけてベーコン。
さらし鯨は酢味噌で。
おやつ:うす焼、てっか・リンゴの塩漬け、すぐり、びっくり
グミ、桑めず、なつめ、
    こうりもち:塩入り、ゴマ入り、砂糖入り、食紅でピ
    ンクとミドリがついていた。家で作った干イモ(芋きり)
    麦芽の水あめ、かりんとうは一斗缶で買ってあった。
    アイスキャンディーなどは、自転車で売りに来た。
その他:するめ、しまへびは焼いて食べた。食用ガエルは足を
    焼いて食べた。蜂の子の塩入は家の周りの蜂の巣を取
    って。    (茅野市、しょうこさん、60代前半)     
   
*茅野の食べ物が事細かに分かります。どんな素材も、ぜんぶ、
食べつくして捨てることがなかったのは、やまねこの子ども時
代も同じでした。
                      
◎「子ども時代に何を食べたか」
子ども時代に何を食べたか?と改めて聞かれ、とても悩んだ。
朝早く納豆売りが来た事を思い出した。
「なっと、なっと~」の声がまだ聞こえてきそう。
漬け物は、畑で採れた野菜で漬けた物がいつでもあった。たま
ごは鶏を飼って、鶏肉は正月のご馳走のため、兎も飼って、兎
の肉も食べた。山羊の乳も貴重だった。山里のわりには、近所
に魚屋があり、氷の中から新鮮な魚が手に入り、そんな時は、
味噌漬けにしたり工夫していた。

昼は小学校二年生までお弁当、小学校三年生から中学三年生ま
で学校給食だった。コッペパンと脱脂粉乳が思い出される。学
校給食や家での食材の中で、鯨肉があった。生姜醤油に漬けて、
から揚げにしたものが定番だった。その他は、大豆の五目煮・
ひじきの煮物・生野菜より煮た野菜が多かった。家でのすき焼
きは、馬肉だった。
おやつは、薄焼き(余りご飯と小麦粉とたまごを水で溶いた物
を混ぜて砂糖を入れて油で焼く)また、小麦粉と砂糖、たまご、
重曹で溶いた物をリングになったお玉で揚げた、ドーナツもあ
った。
現在、おやきが彼方此方で売られているが、わが家では、恵比
須講の時期に、小麦粉に重曹を入れた生地に、家で採れた小豆
あんを入れ蒸かした物が定番だった。              
   (塩尻市、こさとさん 60代後半)

*やまねこと同い年のこさとさん、コッペパンと脱脂粉乳の給
食が同じでした。山羊乳、兎肉はさすが山国ですね。

◎「子どもの頃の食べ物について・ふと幼少期を回想して」
昭和29年生まれ。幼少期は昭和30年代でしょうか。
富山県片貝川上流に近い扇状地。川と山がすぐ近くという環境
です。
家は専業農家(米作り)です。農繁期にはお寺が季節託児所に。
そこで育ちました。
おやつは主に自然の「生り物(なりもの)」。
山や川原では、木いちご、ぐみ、あけび、いたどり、山ぶどう、
山りんご(正式名不明)等々。
弁当箱持って出かけてました。収穫できる場所は今でもよく記
憶しています。
自宅近辺では、柿、梨、りんご、いちじく、びわ、くるみ、な
つめ、富山もも等々。
近所の家の木にもよく登って取ってました。
手を加えた料理というとあまり記憶がありませんが・・・
祖母がよく「焼きつけ」と言って今で言うホットケーキのよう
なパンを作ってくれました。
こたつの中に入っていた甘酒もよくいただきました。
手作りの干しいも、干し柿、さわし柿もいっぱい食べました。
そうそう「凍り餅」軒下に沢山ぶら下がってました。揚げ餅で
いただきました。
思い起こすと結構ありますね。まだまだあったかも知れません
が思い起こすには時間がかかりそうです。
とってもなつかしいです。
   (富山県魚津市、はるみさん、50代後半)

*海に面した魚津の山寄りの土地、あたり一面、食べ物のなる
恵まれた里だったのですね。木登りをしても「女らしく」など
と、咎められることはなかったのですか。「焼きつけ」は、
茅野の「薄焼き」にそっくり。「凍り餅」はやまねこも子ども
時代、油で揚げたのを美味しく食べました。
お寺が季節託児所になったとのこと。次のテーマが幾つも思い
浮かびます。有難うございました。

◎「わたしのごはん体験(10代に何を食べたか)」
80年代前半から90年代前半の千葉県船橋市編~

<好物あるいは食卓によく並んだもの
(基本的に手作り料理)>

コロッケ、ハンバーグ、ピーマンの肉詰め、餃子、カレーライ
ス、ハヤシライス、クリームシチュー、マカロニグラタン、ト
マトパスタ、鮭・ホッケ・鰤・秋刀魚などの焼魚、鯵の海苔巻揚げ、
鯵のマリネ、ジャガイモのおもち(ジャガイモと片栗粉を練り
上げて、チーズを挟んだ揚げ物)、鶏肉料理(グリルや唐揚げ)、
ミネストローネ、お煮しめ、だご汁(小麦粉から麺を作り、味噌
汁の中に入れて根菜と共に煮込んだもの)、ちらし寿司、シーチ
キン海苔巻、鯛やマグロの寿司、オムレツ、チャーハン、ピラフ、
焼きそば、焼うどん、焼肉(牛、ラム、砂肝)、牛ステーキ、豚
肉の生姜焼き、焼き豚、筍や栗の炊き込みご飯、なます、ポテト
サラダ、きゅうりとワカメの酢の物、ゴーヤチャンプル(当時は
苦瓜と呼んでいたと思います)、天ぷら、きんぴらごぼう、ピザ
トースト、栗きんとん(サツマイモからきんとんを作ったもの)、
青菜の胡麻和え、焼きナス、ブロッコリーやカリフラワーのサラ
ダ、里芋団子、野菜炒め、蕎麦、そうめん、等々・・・。
その他あると思いますが、現在、思い出せる範囲で書かせていた
だきました。

<食卓に並んだが嫌いで口にしなかったもの>
浅蜊などの貝類、しめ鯖、いくら、うに、かずのこ、奈良漬け、
ザーサイ、高菜の炒めもの、烏賊の塩辛、メロン(フルーツのみ)、
スイカの漬物、鯨のステーキ、ロールキャベツ、フキの煮物、黒
豆の煮物、等々・・・。
その他あると思いますが、現在、思い出せる範囲で書かせてい
ただきました。         (千葉県、Yさん、40代前半)      

40代のYさん、ファミレスのメニューにも似通った、いまどきの
献立に、だご汁(小麦粉から麺を作り、味噌汁の中に入れて根菜と
共に煮込んだもの)をみつけてうれしくなりました。すいとん汁で
すね。母上の文化の継承でしょうか。

●お送りいただいた文章を一人で読むのがもったいないので、ここ
に紹介しました。
みなさんの思い出のつまった食べ物についての文章を、どんどん、
お寄せください。男性の方もどうか、ふるって送ってくださいね。
11月20日ごろまで大丈夫ですよ。


うらおもて・やまねこでした。



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