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2013年4月17日水曜日

やまねこ通信264号 「正義」を語って疲労困憊の日々、こんな時はシェイクスピアに相談しよう!


@@@やまねこ通信264号@@@


「正義」を語って疲労する日々、こんな時はシェイクス
ピアに相談しよう!

一階にいる人と、二階にいる人が「喧嘩」すると、どち
らが勝つだろう?

こんなクイズを、小学生のやまねこたちに問いかける大
人がいた。

答えは、二階の人の勝ち。

なぜなら、下にいる者は、上を仰がねばならないから、
顎が上がって声が出しにくく、息が上がる。それだけで
負けなのだ。

この珍問と迷答を語ったのは、お寺の坊さんだった。
息が上がるさまを、落語よろしくぜいぜいと実演した。
下級生の特別授業。富山の昔話を聞いた折のことである。
昔話がどんなだったかは、ほとんど覚えていない。

●3.11大震災・東電福島原発事故後、経産省、東電、
旧保安院、原子力学者ら、「原発ムラ」の面々の発言を
聞いた。主体性のない無責任な虚偽の発言だった。

「ああ、これは第二の敗戦だ」
こう、やまねこは思った。

太平洋戦争下における軍部に指導された大本営発表にも
似て、見え見えの一時しのぎの発言が繰り返された。

「すぐには、影響はありません」「ほんんど心配はあり
ません」「健康には影響はありません」・・・

こうした「上」にいる支配体制の「嘘」の発表に対して、
「下」であるやまねこら一般市民は、どうやったら抗議
できるのだろう?

それから、テレビを朝から晩まで眺め、新聞2~3紙を
精密に読んでは、やまねこ通信で疑問反論を叫ぶ日々が
続いた。

ところが野田政権が財界と熱い抱擁をして以来、「終息
宣言」が出されたあたりから、視界が不良になった。

昨年末の衆院選自民党の勝利以後、原発事故などなかっ
たかのように、経済対策ばかりが前景に押し出されてい
る。バブルの80年代、「3丁目の夕日」の58年代の記
憶までもが、麻酔剤のように振りまかれる。

「アベノミクス」からク(苦)を引くと「アベノ・ミス」
となるなど、庶民の知恵はダジャレで繰り出される。

この背景に、増える一方の放射性汚染水を入れたタンク
群が並ぶ灰色の光景が広がり、汚染水プールのビニール
シートが破れて地下に浸透し、海に漏れ出すことも・・・

「正義」の発言は無力の極みに沈む。二階の権力者と「喧
嘩」する階下の一般市民たちは、顎が上がって、税税、な
らぬゼイゼイ吐息をつくしかない。

「正義」がこんなに無力な世の中を作ってきた大人の一人
として、何か道はないか考える。「脱原発」は当たり前の
ことだ。これを言い続けるしかない。けれど・・・

●こんな時は、シェイクスピア作品に相談するのがいい!

(以下は、「物語の力II」授業資料より)
「人は「失敗」をする生き物である。
「失敗」が起こったとき、誰が、どうやって責任を取るの
だろう?どのようにして「正しいこと」=「正義」が行わ
れるべきとの命令が下されるのだろう。どうやって「失敗」
が償われるのだろう?

どうやったら、ひとりひとりの私たちは、「正しいこと」=
「正義」を実行できるようになるのだろう。

「盗みをするな」「人を殺すな」と教えられたら、果たし
て私たちはしないだろうか?「思い違い」や「失敗」をし
たとき、どのように「失敗」を認めて、「正義」に向かう
新しい選択をしたらいいのだろう?どうやったら、その選
択をする個人が誕生するのだろう?

私たちは「間違い」「失敗」がなされている現場をじっ
くり見たほうがいいのではないだろうか?悲劇では、人の
行う「失敗」「思い違い」が、幾度も幾度も描かれる。ど
のようにして、「間違い」「失敗」が起こっているだろう?
その中で、どうやって、「間違い」「失敗」が償われてい
るかを観察して考えるといい。

物語の力I 2013年版では、このことを、シェイクスピアの
悲劇を通じて学ぶことにしよう」。


うらおもて・やまねこでした。






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