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2013年11月29日金曜日

やまねこ通信285号:丸岡秀子が大伯母、井出庸生議員(みんなの党)特定秘密保護法に反対投票、反対の県民投票をしよう!

@@@やまねこ通信285号@@@

丸岡秀子が大伯母、井出庸生議員(みんなの党)特定秘密
保護法に反対投票、その勇気に拍手!反対の県民投票をし
よう!

●何が秘密かが秘密! 政府が自分にとって都合悪い情報
を闇から闇へと葬り去ってゆく恐れある特定秘密法案が
成立しようとしている。

●「特定秘密」に指定された情報の解除、保存や公開の基
準を定めた具体的な条文なし!
原発の安全対策の検証に必要な情報まで「特定秘密」に指
定されぬとも限らない!

安倍政権はなんで審議をはしょって急ぐのか?
改憲論議の水面下、前回首相だった折以来の念願とか?
向かうところ敵なしのうちに急いで片付けようとの思惑か!
国民がなすすべないうちに衆院通過。

この中での小さな大ニュース。みんなの党井出庸生衆院
議員は26日衆院本会議、特定秘密法案の採決で反対投票
をしました。みんなの党賛成方針に造反しての反対投票で
した。

井出庸生議員は36歳。1977年生れ。NHK記者を勤めた後、2
010年参院選挙長野選挙区からみんなの党公認候補として
出馬したが落選。昨年の衆院選挙長野3区からみんなの党公
認で立候補落選。けれど比例代表北陸信越ブロックで復活
当選し現在一期目である。

●長野県の政治家で井出といえば井出一太郎が思い浮かぶ。
一太郎は農林大臣などを勤め三木内閣では官房長官であった。
1946年から40年間議席を維持し、長男の正一を後継者にし
1986年引退。1998年死去した。

井手一太郎家の家業は臼田の造り酒屋橘倉酒造である。こ
の井出という家こそ、丸岡秀子の父の家であった。丸岡秀
子の旧姓は井出ひで。父今朝平の最初の妻つぎはひでの生
10ヶ月目に中込の実家で死去した。

ひでは母の死後、父今朝平が迎えに来なかったため、貧困
の祖父母に育てられ、中込小学校に通った。中込小学校に
は太鼓楼という塔があり、天井には四方八方に広がる世界
の都市の名が刻まれていた。中込小学校での教育を晩年の
秀子は懐かしんでいる。

ひでの弟たち、井出一太郎、ずっと年齢の離れた末弟井出
孫六らは、臼田の橘倉酒造の父のもとで育った。そこは庭
の池で鯉が泳ぐ広々した屋敷だったと『ひとすじの道』で
秀子は回想する。

みんなの党・井出庸生議員はこの井出一族の一員。井出一
太郎の孫であり、正一の甥である。だから丸岡秀子は議員
の大伯母にあたる。

●特定秘密法案を成立させるため、井出議員は別の議員と
二人で、自民公明両党との修正協議の実務者を務めた。

やまねこは若い井出庸生議員がみんなの党を代表し、自民
公明との折衝にあたる場面をテレビで見て、まさか、とび
っくり。

丸岡秀子を大伯母にもつ青年議員。こともあろうに戦前逆
戻りが懸念される特定秘密法案成立の協力なんかするな!

みんなの党も維新の会もひとり勝ちの安倍政権に擦り寄っ
ている。
それにしても、井出庸生がその実務者とは・・・

●ところがそこで終わりではなかった。実務者を務めた後、
「修正協議結果に同意できない」として井出庸生議員は衆
院本会議で造反した。

井出議員は党青年局長などの役職を辞任する意向を固めて
いる。議員によると党幹部は井出氏の更迭を示唆。処分を
検討中という。
井出庸生議員は離党処分も辞さぬ覚悟で行動した。

●みんなの党はこんなじゃなかったと井出庸介議員はブログ
に書く。

「情報漏えい対策の強化は(みんなの党の)アジェンダに
書いてあるが、これを掲げて選挙を戦った人間は私の知る
限り、党内に1人もいない。

 逆に去年12月、今年7月の衆参選挙では、「自民党にも
の申す」「責任ある野党になる」との立場を主張したはずだ。

今後、我が身が厳しい状況に置かれることは覚悟している
が、己の保身よりも、みずからの主張を封殺することの方が、
政治家として死を意味する。

みんなの党の原点は、「捨て身の行動」と「言いたいこと
・政策を貫く」だったはず。しかしいまは、言いたいことを
言えない。言わせない雰囲気が最大の問題だと感じている。

みんなの党は、自民党や民主党のような既得権に守られてき
た政党と違って、まじめで、政策本位で、未来志向の改革を
するはずだった。そのために捨て身で集った集団だった。

それが、与党や官僚主導に手を貸すような法案に安易に組し
ていいのか。「やみくもに反対しない」なんて優等生ぶった
ことを言わないで、この法案こそ、きびしく物申すべきだっ
た」。(以上)

●みんなの党は自由な議論を封殺する党なんだ!自民党に
みんなまとめて幾らで身売りしたも同然!

「己の保身よりも、みずからの主張を封殺することの方が、
政治家として死を意味する」と井出議員。勇気ある政治家の
誕生を祝いたい!

丸岡秀子はいたるところで書いている。言論を封殺された
あの戦時体制を二度とくりかえしてはならないと!

井出庸生議員を激励しましょう!
https://yousei-ide.com/

★長野県の弁護士が立ち上がりました!
2日まで ストップ秘密保護法・長野県民投票スタート
詳細は毛利正道弁護士(岡谷市)のHPを開いてください。

122日までに一票を投じてくださいね!



うらおもて・やまねこでした。

2013年11月24日日曜日

やまねこ通信284号:要支援1認定から4ヶ月、入院の成果は!高齢女性の20%はひとり暮し

@@@やまねこ通信284号@@@

やまねこは現在、介護保険の要支援1の認定を受けています。週一
度一時間、自宅にヘルパーさんが訪問。必要な作業を手伝ってもら
います。

●左足脛骨の骨腫瘍のため癌研有明病院で入院手術を受けたことを
お伝えしています。病院では手術の翌日から車椅子で移動する訓練、
手術後10日目には歩行器、16日目から松葉杖歩行の訓練を開始しま
した。

松葉杖は足に力を入れる代わり、両手で体重を支える道具です。歩
行訓練の最初の週は手のひらの皮が赤くなり痛くて痛くて。ちょう
どテニスの練習でラケットを握る手のひらの皮が剥ける痛さと同じ
です。使い慣れない両腕の筋肉を使うことも苦労でした。

有明では階段の上がり降りの訓練をしました。自宅に戻れば階段は
ないから安心。

松葉杖での歩きは徐々に上達しました。こんなに便利な補助具はない。
これを使えば中途で休み休み歩ける。左足に体重の3割、右足に7割。
この指示を守りながらどこまでも歩いて行ける。

ところが家に戻って気づきました。どこまでも歩くことはできる。
けれど足の代わりの役目を両手が果たしている。だから両手を使う
ことができません。足の病気なのに手が使えないのです。

スーパーに行って店内の商品をあちこち見て回ることはできる。けれ
ど商品を手にしたり籠を下げたりカートを手で押したりすることがで
きないのです。

●一人暮らしのやまねこ。初めのうちは近所に住む友人のたかこさん
に買い物を依頼したり、一緒に出かけてカートを押してもらったりし
ました。ちずこさんにもお願いしました。けれどすべてを頼むことは
できません。

友人でなくて親族だったらできるだろうか。
親族だって自分の職業がありさまざまなスケジュールがある。支援が
可能かどうかは友人と親族の違いのような関係性ではないはずだ。

親族だったらもしかしたら犠牲を払ってくれるかもしれない。けれど、
友人であっても職業と私生活の間の時間で犠牲を払っているのだ。

そこで気づいたのです。誰かに犠牲を求めることはできない。人に犠
牲を強いることは、人生においていちばん避けたかったことだ。
言い換えるなら、誰であれ支援する人一人だけに重荷を預けることは
できない。「負担の分散」をしなくては。この先、一人で暮らすなか
で何が起こるかわからないのだから。

こう思う矢先、とよこさんから電話。
「市役所の介護保険係りに問い合わせるといいわよ」
K県でひとり暮らしの母上が怪我をされた折の経験を踏まえての助言
でした。

●早速市役所に電話して事情を伝えました。介護福祉事務所から調査
員のSさんが来訪。70項目余の質問によって介護の必要の度合いを
調査するのです。医師の診断書が必要なため決定まで時間がかかる懸
念もありました。けれど「要支援1の見込み」でヘルパーさんが派遣
されることに決定。8月6日のことでした。

それ以来週一度一時間ヘルパーさんの訪問が続いています。
やまねこは膝を曲げたり中腰になったりが不自由。それに重いものを
持つことができません。部屋の掃除片付けを手伝ってもらいます。

●ヘルパーさんの一時間でできる掃除片付けの成果に感銘を受け、8
月9月には掃除のプロであるD社に依頼して仕事場と書庫の大片付けを
しました。二人の女性が3時間5回にわたって作業したお陰で、家の中
はすっきりしました。

●こうして家の中の片付けをプロに依頼することはやまねこにとって
初体験でした。その後リビングのダンボール箱の数も徐々に減少しつい
にはゼロに。今は収納家具を探しています。

捨てるのか、残すのか!
この決断を何度もしました。結果たくさんの物を処分しました。物置小
屋を建てるしかないか!こう思った多数のダンボール箱の中身が少しづ
つ収まるところに収まってゆきます。
これを入院の成果と呼ばずして何と呼んだらいいのか!

●リビングのテレビを買い替え、大きめのテーブルにし、雑談の会が開
けるようにしよう。そこまであともう少しです。

●高齢になり倒れたらどうしよう。「人の世話」にはなりたくない。
こんな話をよく聞きます。伝統的家族では「嫁」が世話をしたかもしれ
ません。

やまねこには世話をしてくれる家族がいません。ずっと前から分かって
いることです。ひとりで迎える高齢生活はやまねこが好きで選んだ道で
す。

やまねこの友人の多くは、家族がいても離れて暮らしています。

内閣府の調査では「65歳以上の一人暮らし高齢者の増加は男女ともに
顕著であり、昭和551980)年には男性約19万人、女性約69万人、高齢
者人口に占める割合は男性4.3%、女性11.2%であった。

平成222010)年には男性約139万人、女性約341万人、高齢者人口に占
める割合は男性11.1%、女性20.3%となっている」。http://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2012/zenbun/s1_2_1_03.html

望んでも望まなくても、今日の社会では男性の10人に1人以上、女性の
5人に1人以上がひとり暮らしです。

やまねこは今回、市の介護保険担当者、福祉事務所の調査員、週一のヘ
パーさん、それぞれの担当者に非常に良い仕事をしていただきました。

公的支援について早めに理解を深めてゆこう。そうして友人のネットワ
ークを大切に紡いでゆこう。
分かりきった結論ですが、今回あらためてやまねこは思ったのです。


うらおもて・やまねこでした。


2013年11月8日金曜日

やまねこ通信283号: フクシマ原発大接近ツアーに同行

やまねこ通信283

フクシマ原発大接近ツアーに同行

青ざめて海辺にたたずむ福島第一原発から数キロの地点ま
で行ってきました。道路にゲートが組んであり、その先は
車が入れないようになった地点。

森の向こうに、鉄塔がかすんで見えました。その足元にま
ぎれもなく事故をおこしてメルトダウンした原子炉と建屋
が横たわっているはずの地点。

原発事故っていったい何だったのか?事故後3年近くたっ
た現地はどんな感じだろう?こんな気持ちを抱えてフクシ
マ原発大接近ツアーに同行しました。

脱原発すわ連絡会の主催。女性4人、男性8人の一行12
人。11月4日午前9時半、バスで茅野市を出発。第1日目
は折々の場所での線量を計測しながらの旅でした。

●線量計をそれぞれの参加者の関わりある機関から拝借。
全部で9個だったか。やまねこも大学所蔵のものを一個、
たかこさん通じて拝借。電話受話器の半分位のサイズの線
量計が、それぞれ50万、30万、10万円とのこと。

茅野市役所前では0.068ミリシーベルト。白樺湖、蓼科牧場、
横川SA、都賀西方あたりまで、あまり変化なし。ところが、
那須高原SA0.100、鏡石PAでは0.237、安達太良SA0.56
福島松川を過ぎ吾妻SAでは0.71と数値が高くなりました。
これは茅野市の10倍のセシウム数値です。

第1日は福島飯塚温泉の老舗旅館赤川屋に宿泊。
二日目は福島市内で被災者支援活動を続けている現地在住
N氏にガイドを務めていただきました。
福島市、川俣町、伊達市、飯舘村、浪江町、南相馬市請戸
までのツアーが出発。

仮設住宅が、並ぶ場所を通りかかります。

●福島市では水素爆発の頃、20.05ミリシーベルトにのぼっ
た。当時、これらの数値は発表されておらず、地震と津波
に見舞われた人々は、マスクもしないまま子ども連れで戸
外の飲み水の行列に並んでいた。バスの中でN氏が当時の事
情を語ってくれます。

福島市の市長選が告示間近。保守政党の現職が最有力との
こと。被災の人々がどうして「10基廃炉」の確約をしな
い候補を選ぼうとするだろう?
理解しがたいことが起こっている。

●車内で配布された書類を見ると、避難指示区域は三つに
分類されています。
最も厳しい地域:赤印:帰還困難区域
次に厳しい地域:黄色:居住制限区域
最後は緑色:避難指示解除準備区域

福島市、川俣町、伊達市は避難指示区域ではありませんが、
居住制限区域である飯舘村に入ると除染の工事車両、作業
員の他人影がありません。あたり一面、3年間放置された
農地が広がっています。線量1.70.7

人気ない村に、サルの群れが走り回っていました。餌は豊
富なのだろう。先の世代にどのような変化が起こるのだろ
う?

汚染物質仮置き場を設置する工事が幾つも進んでいます。
土地の表土を浅く掘り、ゴムシートあるいはビニールシー
トをそこに敷き詰めます。その上に、ビニールの大きなゴ
ミ袋に入れた汚染物質を積み上がる予定。ゴムシートに穴
が開けば雨水で汚染物質が地下に漏れ出すことが容易に予
測できます。

浪江町はほぼ全域が赤印:帰還困難区域。そこに高い鉄塔
が。一体これは何?
東北電力の気象観測用の施設とのこと。
何を隠そう、この場所は、東北電力浪江小高原発建設予定
地だった。けれど東電の事故以後、計画が白紙撤回された。

●面白い話を聞いた。
鉄塔付近の民家の屋根に白いシートで養生した跡が見える。
直後に立入り禁止区域に指定され現在は帰還困難区域の住宅。

いったい誰がどうやって何のために屋根の養生をしたのか?
 誰も入れなくなった時期、今後住む見込みのない住宅に!
これは謎ではないか!

答えは東京電力でした。東京電力の社員が治外法権的に立ち
入り禁止区域に入り、そこにある住宅の屋根に登って破損し
た箇所を修復、養生した!
住宅の持ち主に無断で!

何のため?事故の被害を小さくし補償金額を安く済ませんが
ためであった!

事故直後の大混乱の最中に、これほどにも手の込んだ作業を、
東電の現地担当者がしたことを聞いて、東電社員の「愛社精
神」に、空いた口がふさがらなかった。
これほどにも細かい配慮に満ちた東電社員。

情けないのは、そこに使われたエネルギーが、すべて東電を
守ることにばかりに向けられていることです。何であれ、東
電側の負担する補償額を小さく。反射的に身体が動いた東電
社員のみなさんのとった機敏な行動。
とっても規律ある企業だったんだわね。

汚染水漏れの報道を毎日聞かされます。このいい加減な企業
と同じとはとても思えません。

おそらく善意で真面目な社員のみなさん。その善意が自社の
利益にだけ向けられるとこの結果につながるのです。彼らが
善意であればあるだけ、解きほぐすことが難しい行動です。

●最後に回った南相馬市請戸漁港。向かう途上、津波の引い
たあとの内陸に、漁船が幾艘も残されていました。

海に近く福島第一原発が遠くに見える請戸(うけど)小学校
の廃墟。児童数90人。給食室の大きな釜、鍋が転倒して床
に散乱。3.11当日、卒業式のリハーサルが行われていた模様。

体育館の外壁の時計がさした時刻は3時38分。
津波がその時刻に到着したのでした。

●震災直後は臭気がひどかったことが伝えられる現地。今回
は、ガレキの多くは以前よりは片付けられた後とのこと。セ
シウムの線量を計測してきましたが、半減期に入ったものも
あったためか、請戸小のそばでも0.08の数値でした。

マスクが必要と聞いていましたが、住民のみなさんはホット
スポットにおいても、マスクを使わない日常とのこと。やま
ねこたちも、持参したマスクはほとんど使う機会がありませ
んでした。

帰還困難区域、居住制限区域の中の建築直後の家が幾つもい
くつも帰らぬ主を待っています。これから何十年?
家具店の中の倒れた棚は3.11当日の光景を保存しています。
そこでは時間が停止しています。

福島第一原発4号基ではようやく廃炉作業が開始されます。


うらおもて・やまねこでした。



2013年11月3日日曜日

やまねこ通信282号:被災地の星「東北」楽天イーグルズは、「原発推進の読売」巨人に負けてはならない!!

やまねこ通信282号
被災地の星「東北」楽天イーグルズは、「原発推進の読売」
巨人に負けてはならない!!

●結論からいえば:
今年の日本シリーズは、東北楽天と、読売巨人の闘いであ
る。

自身の政治的野心(首相就任)のため、原水爆と原子力エ
ネルギーが別物であるとの大キャンペーンを正力松太郎は
社主だった読売新聞、系列会社の日本テレビを駆使して展
開。原発導入に貢献した。

一方、「原子力平和利用」とは、米国が原水爆隠しのため
につけた名前だった。

東電福島第一原発事故は、その後何一つ片付いてはいない。
原発は建設されてしまうと、核爆弾と同じ意味合いをもつ
ことがわかってきた。原発を上空から攻撃すれば、核爆発
と同様の効果が発生するからである。

大震災と原発事故の土地、「東北」の名をチーム名にもつ
「東北楽天ゴールデンイーグルズ」は、「読売巨人」に負
けるわけにはいかないのである。

●目下、日本シリーズ第5戦が仙台で進行中である。東北
楽天イーグルズは3勝を上げている。先に4勝したほうが
優勝である。

楽天はチーム設立から7年目。これまで3位が最高位だった。
今年優勝したのは、何といってもシ―ズン24勝無敗の田
中将大の貢献が大きい。
ここまでは、どのメディアにも書かれていることである。

●やまねこはここで、この日本シリーズが、東電福島第一
原発事故以後の今日、どんな政治的ポジションにあるかを
考えたいと思う。

東北楽天イーグルズは、東日本大震災の被災者を励ますと
の意味合いでそのパ・リーグ優勝が祝福されている。東北
で日本シリーズを戦うのは今回が初めてである。

一方、読売巨人は、昨年リーグ優勝と日本シリーズ制覇し
た。だから今年勝つことがあれば、2連勝となる。読売巨
人はかつて伝説的V9をなしとげた。1968年から9年連続し
てのリーグ優勝日本シリーズ制覇。長島、王が中軸をうち
、監督は川上哲治だった。

川上元監督は、先日死去したことが明らかになり、30日
の試合では選手は黒の喪章をつけて試合した。

●「巨人」と通称されている読売ジャイアンツは、読売新
聞社の社主だった正力松太郎がオーナーだった。現在でも
読売巨人では「大正力」と呼ばれている模様。その後、長
男正力享がオーナーを務めた。ナベツネこと渡辺恒雄がプ
ロ野球界で絶大な発言力を放任されている。ナベツネの力
の根拠は、「大正力」である。

この正力松太郎が、日本のエネルギー政策を原子力に転換
するにあたって大きな役割を果たしたしたのである。

以下は、『3.11以後のフェミニズム』(御茶の水書房
2012)所収「信州とフィリッピン・女たちの地域力」でや
まねこ(藤瀬恭子)が書いたものの引用である。

世界で唯一の被爆国の日本が、どうやって原発を導入でき
たのか?195431日第五福竜丸事件の後、東京杉並区婦
人団体、読書サークル、PTA,労組により「水爆禁止署名
運動杉並の会」が結成され、結果全国で3000万人の署名を
集め、戦後最大の反米運動に発展していた。

答は、正力松太郎という「メディアの帝王」の政界への野
心が、米国の原子力戦略の目的と共振したところにあった。

原子力開発は第二次大戦中のマンハッタン計画が発端であ
る。終戦後ソ連の核実験成功に脅威を覚えた米国は、Atoms
 for Peace 「原子力平和利用」を唱えた。53年アイゼンハ
ウワー大統領はこのことを国連で演説した。

「平和利用」の美名を冠したこの計画は、ソ連核実験を国
際的に非難する米国の総力をあげた反共プロパガンダだっ
た。

「原子力平和利用」は、核兵器を廃止するものではなく、
むしろ核兵器配備に必要な技術を世界各国に配置する戦略
だった。この目的のためIAEAが設立され、米国は、Atoms
 for Peaceの名の下、原子力関連技術の同盟国への輸出を
開始し、トルコ、イラン、イラク、インド、パキスタン、
フィリッピンを核保有国にした。

米国はしかし、第二次大戦の対戦国だった日本に対して、
原子力技術を提供する予定ではなかった。米国の戦略目的
は、日本国内にソ連嫌いを増やし、特に第五福竜丸事件後
の日本人の反米感情を拭い去ることだった。

在日米大使館、極東軍事司令部、合衆国情報部それにCIA
この仕事の担当者だった。(引用以上)

正力松太郎は「原子力平和利用」を読売新聞、日本テレビ、
さらに幾度にもわたる展示会で熱心に宣伝した。このキャ
ンペーンは、国内に「原水爆」と「原発」は別物との考え
を普及させることに役立った。

●本日、田中将大登板の楽天は敗北した。読売巨人監督原
辰徳が勝利インタビューに出ている。

原辰徳の父原貢氏は、かつて三池工業高校野球部監督とし
て甲子園に初出場で初優勝を飾った。1965年のことである。

石炭から石油へのエネルギー転換の中、三井炭鉱は経営合
理化を図り大量解雇に踏み切る。これが長期のストライキ
を続けた三井三池闘争である。

さらに経営側の安全管理不十分の中で、1963年炭塵爆発が
発生。458人の死者と一酸化炭素中毒患者839人を出す戦後
最悪のものとなった。

1965年の三池工業初出場、初優勝は、大量解雇と炭塵爆発
大事故の三池にとって明るいニュースと受け止められた。

原貢監督はその後、東海大学総長松前重義氏の招きで東海
大相模高校の野球部監督になり、息子原辰徳選手らのチー
ムが甲子園に毎年出場した。原辰徳が東海大学に進学する
に伴い、父原貢氏は東海大学野球部監督に就任。

正力松太郎が原子力エネルギー推進の先鞭をつけたとした
ら、原貢氏は石炭から石油へのエネルギー転換の犠牲にな
った町の野球チーム監督であったわけである。

●明日が「東北楽天イーグルス」対「読売巨人」の最終試
合である。

  10月がまたたく間に過ぎました。やまねこ通信は10月
中、一度も更新しませんでした。

脚の回復はすこぶる順調です。今では、正常歩行で40分
以上のウオーキングが可能です。この点に限れば、膝の痛
みを自覚した3月以前の段階に回復しました。

このようにお伝えすると、「無理しないでくださいね」と
の声が寄せられます。

620日の手術の日以後、「ゆっくり治してくださいね」
とのいたわりに満ちた言葉をいくたびも頂戴しました。

これら「母たち」の言葉、シスターフッドからの言葉に忠
実に従うのは、今回が初めてかもしれません。

こうして、書かれるべき、幾つもの事柄が、手帳の項目に
並んだままになっています。

「無理しないでおこう。今日は、まあいいや」
こう自分に言い聞かせると、生来の怠慢癖と区別がつかな
くなっています。

無理しないで、楽しながら、もう少し発信したいな。
これが現在の心境です。

ともかく、やまねこはお休みだけはしっかりとりました。
ご心配ありがとうございます。


うらおもて・やまねこでした。

ちの男女共生ネットは幾度か更新しています。
ご訪問くださいますように。

http://ameblo.jp/gender-equality-chino/