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2015年8月31日月曜日

やまねこ通信332号:8.30国会前と諏訪湖畔、100万人の中のひとりの一日

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8.30国会前と諏訪湖畔、100万人の中のひとりの一日


8.30、全国大行動の日。集会の参加人数を主催者発表
12万人、警察発表3万人と報じたという。けれど参加者
は言う。「3万人ということはないよ!」。

朝日WEBでは「国会だけでなく、霞が関や日比谷周辺周辺ま
でプラカードやのぼりを持った人たちであふれた。警察関
係者によると、国会周辺だけで約3万3千人」。今回は周
辺にあふれ、場所によっては身動き取れなくなっていたか
ら、主催者発表の12万人以上はいたであろう」。

国会周辺に入りきれないで人々が周辺の道路にあふれてい
るのに、国会周辺デモだから、国会周辺の人数だけ数えて
3万人」と警察が発表したとのこと。
(デモに参加した孫崎享のメルマガより)
こんな計算の仕方で、災害の時、どうするんだろうねと、
やまねこは気になって仕方がない。

さらに動員された人々も多くいたが、個人の資格で参加し
た人々は、動員された人々を上回り、若者が以前より増え
たとも。

▲昨日は大雨警報の中、8.30、諏訪地域のデモにやま
ねこも参加した。1000人委員会・すわ、地域ぐるみの
会などの呼びかけに応じた参加者約100人とともに、午
後1時半に諏訪文化センター集合ミニ集会の後、小雨そぼ
降る中を湖畔までパレード、さらに駅前まで歩いた。2時
と3時に、全国100万人の1人として、声の限りで絶叫。
「安倍はやめろ~」「戦争法案、廃案!」

雨の降り止まぬ重たい空模様。けれど安倍晋三体制に「天
の恵み」などと思わせてはなるまい!意地でもパレードに
身体を運び、絶叫しなくては。「安倍はやめろ~」「戦争
法案、廃案!」。顔見知りの仲間たちも同じ考えだった。

「歩いても大丈夫なの?」やまねこの体調を慮ってくださ
る方が何人か。どうもありがとう。歩くのはどれだけ歩い
ても大丈夫なの。山歩きをしようとは思わないけれど。

7時のニュースは見損なった。その後のNHKニュースは
国会前デモについて一度も報道せず。夜10時の短いニュ
ースでは、プラスティック折りたたみの脚立は、飛び乗っ
たら危ないよとの調査結果がでたというニュースが延々と
ゆっくり流れていた。なるほど生死に関わるかもしれない
から「重大」なニュースだよね。

日曜の夜って、ニュースがないんだね。テレビ東京(日経
新聞)のニュースしか見ることができなかった。主催者側
発表12万人、警察発表3万人。
デモに参加した人も、参加できなかった人も、2015年
8.30という日付を忘れないだろう。

1時間近くも歩くのは久しぶりだった。解散の3時すぎ、
急に腹ペコになった。昼食抜きだったことを思い出す。諏
訪の高島城付近に高島食堂という定食屋さんがある。よし
ここで済ませよう。こう思って中に入ると、4時前なのでほ
とんどお客がいない。

ずらりと並んだお皿を眺める。サバの塩焼き、サンマの塩
焼き、揚げ出し豆腐、冷奴、わかめと胡瓜の酢の物。家で
あまり食べないサンマにしよう。ひじきと薄揚げの煮たの
も盆にのせる。ご飯と味噌汁を注文し番茶をくんでテーブ
ルに。

お腹のふくれた大きいさんまが370円くらい。今年のも
のではないけれどなかなか美味しい。ひじきも味付けがい
いと思う。年に2、3回は入る高島食堂。一膳飯屋で食べ
るのが大好きなやまねこ。

ほっこりひとり箸を進めるうち、がらがらの食堂に新しい
お客。どこかで見た顔。あれっ、さっき一緒だった、フォ
トグラファーT沢さんご夫妻が目の前にあらわれたではない
か。

隣のテーブルで、二人は鰺フライ定食に舌づつみ。
味わいながらの話がはずむ。
最近の集会やデモでは、参加者の顔ぶれが変わってきたと
の話。以前だと、発言やアクセントが特定の団体や組織を
思わせる方々ばかりだった。

「ところが、最近の集会では子連れの女性が多くなった」。
へえ~、そうだったのか!

そういえば、諏訪の雨の中のデモでも、小学下級の子連れ
ママさんを何人か見かけた。子どもたちは雨合羽を着てい
きいき楽しそうだった。

電動式車椅子を運転しての高齢女性も参加していた。
こんな仕方でデモに出ることもできるんだ!やまねこはそ
の姿を見て励まされる思いがした。

集会の参加と2時の絶叫アクション「安倍はやめろ!」で
帰途についた方もあった。デモの中途から参加し、中途で
消えた方もいた。

バチバチ写真を撮る方々もあった。朝から写真がフェイス
ブックに載っている。

それぞれの仕方で思い思いに参加する気持ちのいいアクシ
ョンだった。

皆さん、お疲れ様でした。

こんなんで、8.30の諏訪からのお知らせを終わります。

さあ、
全部でどれほどの参加者がいたのだろう?
国会に、どんな影響を与えるだろう?




うらおもて・やまねこでした。



2015年8月24日月曜日

やまねこ通信331号:敗戦を否認する「日本会議」が安倍政権の影の戦略室か?

@@@やまねこ通信331号@@@
敗戦を否認する「日本会議」が安倍政権の影の戦略室か?「生長の家」に始まる歴史

▲8月15日「終戦記念日」の夜、NHK7時のニュースを見
た。トップは、「靖国神社に首相閣僚が参拝することを要望
する集会」が開かれ1600人が集まったとのニュース。
「ええっ!」やまねこは耳を疑った。

NHKふれあいセンター」というところに、本日24日過去の
報道についての問合せをした。すると、ニュース9で報道され
たものとして、靖国神社での1600人集会の主催は「英霊に
こたえる会」との返事。

終戦記念日の夜のトップニュースが、「英霊にこたえる会」の
靖国での集会であったことを確認した。

「英霊にこたえる会」とはいったい何か?これは「日本会議」
と一体。次の記述が「日本会議」のHPで見つかった。

「8月15日、1600名が集い、靖国神社参道特設テントで「第
29回戦歿者追悼中央国民集会」が開催されました(主催:英
霊にこたえる会、日本会議)。はじめに参加者全員で、国歌斉
唱の後、靖国神社への拝礼。その後、昭和二十年八月十五日の
「終戦の詔書」の玉音放送を拝聴いたしました。
続いて、英霊にこたえる会の寺島泰三会長、日本会議の田久保
忠衛会長から主催者挨拶が行われ、各界からは、自民党政調会
長の稲田朋美衆議院議員、脚本家の井澤満氏、拓殖大学教授の
呉善花氏より、それぞれ提言が行われました」。

▲安倍晋三周辺に食い込むには参加しないでは済まないと見え
る「日本会議」。これがいったい何物で、目的が何かが知りた
い。こう思いつつ数ヶ月をうたた寝するやまねこの鼻先を、8
月15日のNHKニュースがピシャリと叩いた!

▲戦前体制に「逆走」をめざす「日本会議」。
安倍政権の影の団体。閣僚の3/4がその会員であるにもかかわら
ず公然と報道されることが一度もない。
安倍政権の政策はいったい誰のため?こう思う市民たちにとり、
「日本会議」が回答を与えてくれる。「日本会議」を知ること
で、安倍政権の向かう先が見える。

▲「日本会議」とは、日本最大規模ともいわれる右翼団体。国
政から地方政治まで、日本全土に幅広いネットワークを形成し、
政界、宗教界、経済界を結びつけて日本の政治に大きな影響を
及ぼすようになっている。

外国メディアは敏感だ。6月14日外人記者クラブで、安保
法案を「違憲」と証言した憲法学者3氏が会見をした。その折、
イギリスの経済誌『エコノミスト』記者から質問が出た。

「安保法制を合憲としている3人の憲法学者は皆、『日本会議』
に属している。その意味や日本会議の影響力をどのように見て
いるか?」
安保法制を合憲としている3人の憲法学者とは、長尾一紘中央
大学名誉教授、百地章日本大学教授、西修駒澤大学名誉教授で
ある。

小林節氏は「日本会議にたくさんの知り合いがいるので私が答
えます」と次のことを語った。

「日本会議の人々に共通する思いは、第2次大戦で負けたこと
を受け入れ難い、だから、その前の日本に戻したいと。彼らの
憲法改正案も明治憲法と同じですし、今回もそうですが、日本
が明治憲法下で軍事5大国だった時のようにアメリカとともに
世界に進軍したいという、そういう思いを共有する人々が集ま
っていて、かつそれは自民党の中に広く根を張っているように
見える」。

これも外国メディア。フランスの雑誌「なぜ報道されない右
派団体―安倍首相も属する極右団体が政治を牛耳っている」と
のネット記事(7月6日付)が見つかる。「フランスの週刊誌
L'Obs(旧 Le Nouvel Observateur)に掲載された "LA FACE 
CACHÉE DE SHINZO ABE(アベシンゾーの隠された顔)" という
記事の内容に注目が集まっている」との見出し。

「日本会議」についての最もまとまった情報は、『現代ビジ
ネス』ネット版の魚住昭氏の記事。「日本会議」は、戦前の熱
心な天皇崇拝者であり、様々な宗教の目的は皆同じと唱えた谷
口雅春の「生長の家」とその青年部が起源。

▲以下は、「生長の家」に遡る「日本会議」の歴史と活動。
日本会議の特色は何と言っても、そのネットワークの全国的広
がりと構成メンバーの多彩さにある。会員は全国に約35000人。
日本会議の地方議員連盟に属する議員は約1700人と言われる。

HPの役員名簿を見ると、石井公一郎・ブリヂストンサイクル元
社長、小田村四郎・元拓殖大総長、三好達・元最高裁長官、作
家の石原慎太郎氏、外交評論家の田久保忠衛氏ら各方面の著名
人がずらりと並んでいる。
加えてさまざまな宗教団体のトップたちが名を連ねる。神社本
庁、靖国神社、崇教真光、霊友会、天台宗など数え上げるとき
りがない。新宗教から伝統仏教・神道まで多種多様な宗教の結
集軸になっている団体、それが日本会議と言ってもいい。

では、その日本会議が目指すものは何か。HPには〈私たちは、
美しい日本の再建と誇りある国づくりのために、政策提言と国
民運動を推進する民間団体です〉と記されている。
〈美しい日本の再建〉という言葉に注目してほしい。再建と言
うからには〈美しい日本〉が過去にあったということだ。それ
がいつの時代を指すか、明記はされてないが察しはつく。戦前
の天皇主権下の日本だろう。

それを裏付けるようにHPにこう書かれている。
125代という悠久の歴史を重ねられる連綿とした皇室のご存在
は、世界に類例をみないわが国の誇るべき宝〉であり〈皇室を中
心に、同じ歴史、文化、伝統を共有しているという歴史認識こそ
が、(中略)国の力を大きくする原動力になると信じています〉。

▲魚住昭の報告は続く。「10年ほど前のこと、従軍慰安婦、国旗
・国歌法、教科書検定、外国人地方参政権、教育基本法や憲法の
改正などの問題を取材すると、必ずと言っていいほど、背後に日
本会議の勢力が蠢いていた。

どうやら日本の右傾化を演出しているのは日本会議らしい。誰が
どんな経緯でこの組織を作ったのか。
日本会議を仕切る事務総長や関連団体の責任者、安倍首相の側近
議員、学者などの経歴に意外な共通点があった。彼らは青年時代、
ある教団の信者だった。その教団の創始者は熱烈な天皇主義者で
「敗戦した日本などない」と唱えた。敗れたのは「偽の日本」で、
天皇中心の真の日本ではない。我々の使命は明治憲法を復元する
ことだ。その言葉が青年らの心を捉えた。日本会議の歴史はそこ
から始まる。

かつての「参院のドン」村上正邦さん(82歳・元労相)は日本会
議結成(1997年)の当事者の一人。重大なのは生長の家の創始者・
谷口雅春('85年没)の信頼が最も厚い政治家だったこと。

ラディカルな皇国思想を持つ宗教団体「生長の家」。
教団の歴史は戦前、谷口が人生苦の解決法を説く個人誌『生長の
家』を創刊した時から始まる。彼はキリスト教や仏教、神道など
から種々の要素を取り入れて万教帰一、すべての教えは同じ、た
だ登り口が違うだけだと説いた。

また、彼は天皇を現人神として崇めた。「一切は天皇より出でて
天皇に帰るなり」と説き、聖戦完遂を唱えて教団を大発展させた。
敗戦後は一転して自由と平和を唱えたが、公職追放から復帰した
後、右傾化・神道化を強めて教勢を拡大させた。

紆余曲折はあったにせよ、谷口は戦後の宗教界で最もラディカル
な皇国思想の持ち主となった。彼は「明治憲法復元」を掲げて19
64年、生長の家政治連合(生政連)を作り、教団の政治進出を本
格化させる。その生政連の国民運動本部長に任じられたのが村上
さんである。

それから10年後の'74年、愛国心高揚を目指す「日本を守る会」
誕生する。臨済宗円覚寺貫主・朝比奈宗源が谷口らに呼びかけて
作ったものだった。
そこに生長の家はもちろん神道、仏教などの宗教団体が集まり、
作家の山岡荘八や思想家の安岡正篤らも加わった。事務局は明
神宮に置かれ、村上さんは谷口の意を受け、事務局の中心メンバ
ーとして働いた。

「背広を着た右翼」に変身。「守る会」はまず「天皇陛下御在位
50年奉祝中央パレード」を成功させ、その余勢をかって元号法制
化運動に乗り出していく。
もともと元号は戦前の皇室典範に定められていた。その条文がGH
Qの意向で削られ、法的根拠を失った。それを再び法制化しようと
いう右派の動きは戦後三十余年、社会党・共産党の抵抗にあって
阻まれていた。

その大衆運動の戦略を描いたのが、いまの日本会議を事務総長と
して取り仕切る椛島有三。
長崎大学在学中に全共闘や共産党系の民青に対抗して民族派学生
運動を組織。自治会の主導権奪還に成功した。
「椛島さんは長大卒業後、上京して日本青年協議会(生長の家の
学生OB組織)で民族派の運動をやっていた。彼は名誉栄達や金を
求めず、面倒見もよかったから学生たちから尊敬されていた。彼
が一声かければ動く若い人が全国にたくさんいた。その彼が『守
る会』事務局に入ってくれたので、彼と二人三脚で運動を進めた
んです」

ちなみに当時の日本青年協議会委員長は今の安倍首相側近の衛藤
晟一参院議員。書記長が椛島氏、政策部長が今の日本政策研究セ
ンター代表で首相ブレーンの伊藤哲夫氏。3人とも日本会議の中核
メンバー。
村上さんの証言によると、椛島氏は大衆運動のいろんな戦略や戦
術に長けており、各地で人手が必要なときは日本青年協議会傘下
の学生らを動員。

当時の日本青年協議会委員長は今の安倍首相側近の衛藤晟一参院
議員。書記長が椛島氏、政策部長が今の日本政策研究センター代
表で首相ブレーンの伊藤哲夫氏。3人とも日本会議の中核メンバ
ーである。

1995年、自社さ連立内閣時代のこと。村山首相は戦後50年決議の
採択を目指していた。連立相手の自民党は決議推進派と慎重派に
分かれていた。
慎重派を後押ししたのが、椛島(かばしま)有三率いる「日本を
守る会」と「日本を守る国民会議」('97年に両組織が合併して
「日本会議」になる)である。

「守る会」と「国民会議」は前年4月「終戦50周年国民委員会」を
立ち上げ、戦争謝罪決議の反対署名をはじめていた。その年秋に
は「国民委員会」の呼びかけで各地の県議会などで戦没者追悼の
決議が相次いで行われ、翌年3月、「国民委員会」が謝罪決議反対
署名506万名分を集めて国会に請願した。

そんな状況下で森喜朗幹事長や加藤紘一政調会長らが何とか与党
間の合意を取りつけようと奔走。村上さんの回想。

「焦点となったのは、決議で先の戦争が侵略戦争だったことを認
めるかどうか、そしてアジア諸国に対する植民地支配に言及する
かどうかでした。自民党五役は、私を除いて皆決議をやるべしと
主張していた。私は侵略戦争だと認めるなんて断じてできないと
突っぱねていた」

参院幹事長室を占拠した日本青年協議会が激怒。
交渉が大詰めを迎えたのは'9566日夜。どんな内容なら慎重
派が了承できるかと加藤政調会長らが文案作りを繰り返す。その
文案を衆院役員室で「これならどうです」と村上さんに提示する。
彼はそれを参院幹事長室に持ち帰る。
幹事長室は、椛島氏をはじめ日本青年協議会(=後の日本会議の
事務局)の関係者らに占拠されていた。

彼らは文案を見て「いや、これじゃ駄目だ」「この文言はああだ、
こうだ」と言う。村上さんは加藤政調会長のもとに引き返し「こ
の文案じゃ受け入れられない」と伝える。その繰り返しで夜が更
けていった。
最終的に加藤政調会長らが提示してきた文案はこうだった。

〈(前略)世界の近代史上における数々の植民地支配や侵略的行
為に思いをいたし、我が国が過去に行った【こうした】行為や他
国民とくにアジアの諸国民に与えた苦痛を認識し、深い反省の念
を表明する(後略)〉
村上さんが口頭で伝えられた文案には【こうした】が入っていな
かった。
であれば、日本が「植民地支配や侵略的行為」を認めたことには
ならない。その辺が極めて曖昧になるから参院幹事長室を占拠す
る連中も納得できる。村上さんはそう思ってOKサインを出した。
じゃ、これでいこうと、その場でシャンシャンシャンと話がつい
た。

再び村上さんの回想。
「散会後に決議を成文化したペーパーをもらいました。その場で
中身を確認しておけばよかったんですが、そうせず幹事長室に戻
った。それで皆(日本青年協議会の面々)に『だいたいこっちの
要望通りになったから、これで決めたよ』とペーパーを見せたら、
皆が『何だ、これは! 村上先生おかしいじゃないか』と言い出
したんです」
村上さんが改めてペーパーを見ると、加藤政調会長らから口頭で
伝えられた文案と明らかに違う。【こうした】がいつのまにか挿
入されていた。これだと日本が侵略戦争をしたことを認めてしま
うことになる。
しかし、村上さんはついさっき役員会で了承し、その役員会は「
村上からOKが取れた」と言って散会してしまった。今さら取り返
しがつかない。

村上さんがつづけて当時を振り返る。「椛島さんらはものすごい
勢いで怒った。私が彼らをペテンにかけたと言うんです。なかに
は私のネクタイをひっつかまえて怒鳴る者もいて、参院幹事長室
は大騒ぎになった。とにかく目の血走った連中が『絶対阻止』を
叫んで大勢押しかけて来ているわけですからね」

▲日本会議はいま何をしようとしているか
村上さんにしてみればペテンにかけられたのはむしろ彼だった。
役員会で聞いた文案には確かに【こうした】はなかった。
進退窮まった村上さんはそこで決断した。「衆院が決議するのは
もうやむを得ない。しかし参院では自分が責任をもって決議させ
ない。だから了承してくれ」と椛島氏らに言った。それでどうに
かその場は収まった。

村上さんは約束通り、参院での戦後50年決議をさせなかった。参
院の主導権は村上さんの手にあったから議院運営委員会の段階で
封じ込めたのである。
これは極めて異例の事態だった。決議は衆参両院の全会一致で行
うのが国会の通例だ。言ってみればそれが日本青年協議会の介入
で覆されたのである。

日本青年協議会の母体だった「生長の家」は既に代替わりして政
治と絶縁し、創始者・谷口雅春の「明治憲法復元論」を封印しリ
ベラル路線へ舵を切っていた。

本来なら谷口思想を奉じる日本青年協議会は解体されるところだ
ろうが、椛島氏らは教団を離れた後も協議会をつづけ、「参院の
ドン」のネクタイを締めあげるまでの力を蓄えていた。そのバッ
クになったのが、彼らが事務局をつとめる「守る会」と「国民会
議」の組織力であることはいうまでもないだろう。

▲いま日本会議(+日本青年協議会)は、来年夏の参院選後を見
据えて憲法改正を求める地方議会決議(ことし4月時点で27府県
議会・36市区町村議会にのぼる)や1000万人署名運動などを大々
的に進めている。

私の見るところでは、彼らにとって憲法改正は戦前の大日本帝国
の“栄光”を取り戻すための一里塚にすぎない。その先にどんな
未来があるか。想像しただけで背筋が寒くなる。*参考:ハーバ
ー・ビジネス・オンライン連載『草の根保守の蠢動』(菅野完著)、
週刊金曜日201543日号
『週刊現代』201581日号より

▲以上は、『週刊現代』に連載されネットに登場した魚住昭氏の
記事を省略しながら、やまねこが引用したものです。

▲「日本会議」のHPを開くと次のキャッチフレーズが。
「私たちは美しい日本の再建と誇りある国づくりのために、
政策提言と国民運動を推進する民間団体です」。

「日本会議」6大スローガン:
1.憲法改正
2.教育基本法改正
3.靖国公式参拝の定着
4.夫婦別姓法案反対
5.より良い教科書を子供たちに
6.日本会議の主張の発信

日本会議役員名簿。故人が多数含まれている。

日本会議の紹介

日本会議の目的

8月15日終戦記念日の日、NHK夜のニュースがトップで報じた行事
は、ここに書いてあります。

▲やまねこは考える。
「敗戦した日本などない」と唱え、敗れたのは「偽の日本」で、天皇
中心の真の日本ではない。だから戦前体制に回帰しようとのホンネ。

敗戦の否認という現実逃避の精神を受け入れ、戦争の歴史もアジアの
歴史も目に入らない人々が、安倍政権の閣僚の3/4を占めている。

外交戦略の生み出されるわけがない。日米安保におんぶにだっこし、国
の予算を使ってくださいと、米国に投げ出すほかないだろう。

天皇中心なのに、平和憲法尊重の天皇の言葉に耳を傾ける気配なし。
米国の基準に合わせ規制緩和したあげく、雇用が崩壊し人々の暮らし、
とりわけ高齢女性の貧困がひどい社会に目を向けず、東電福島原発事故
を放置し、「美しい日本」「誇りある国づくり」との空虚なキーワード。
オリンピックパラリンピック開催に意気込むのは、敗戦の否認と同じ、
現実の否認なのだ。

安倍政権の向かう先を、大メディアは国民に伝えることなく、そのイ
ベントを自然発生的行事のように、番組のトップで報道。安倍政権の
要望と籾井体制のコラボだろうか?

現実否認の「日本会議」は憲法改正の署名活動を活発に行っている。
どんな人が署名するのだろう?どうして気づかないのだろう?

日本会議は全国に支部がある。長野県にも幾つかの支部。
http://www.nipponkaigi.org/about/zenkoku

次は閣僚の名簿と「日本会議」


「神道」は神道政治連盟国会議員懇談会、「日本会議」は日本会議国会議員懇談会
主な役職など
神道
日本会議
《大臣》
安倍晋三
総理
会長
副会長
麻生太郎
副総理・財務
特別顧問、前会長
高市早苗
総務
上川陽子
法務
×
岸田文雄
外務
下村博文
文科
幹事長
塩崎恭久
厚労
林芳正
農水
×
宮沢洋一
経産
×
太田昭宏
国交(公)
望月義夫
環境
中谷元
防衛
副会長
菅義偉
官房長官
副会長
竹下亘
復興
山谷えり子
拉致
山口俊一
沖縄北方
甘利明
経済再生
有村治子
少子化
石破茂
地方創生
副会長
遠藤利明
五輪
×
《官邸》
加藤勝信
官房副長官
世耕弘成
×
木村太郎
総理補佐官
礒崎陽輔
×
衛藤晟一
×
《副大臣》
長島忠美
復興
浜田昌良
〃(公)
赤沢亮正
内閣府
×
×
平将明
×
×
西村康稔
西銘恒三郎
総務
×
×
二之湯智
葉梨康弘
法務
城内実
外務
×
中山泰秀
菅原一秀
財務
×
宮下一郎
×
丹羽秀樹
文科
×
×
藤井基之
×
×
永岡桂子
厚生
×
山本香苗
〃(公)
あべ俊子
農水
×
×
小泉昭男
×
山際大志郎
経産
高木陽介
〃(公)
北川イッセイ
国交
×
×
西村明宏
北村茂男
環境
小里泰弘
×
左藤章
防衛





うらおもて・やまねこでした。