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2015年8月14日金曜日

やまねこ通信329号:「文学者」美智子皇后の言葉を、安倍晋三にささぐ


@@@やまねこ通信329号@@@

「文学者」美智子皇后の言葉を、安倍晋三にささぐ

かねてから胸の痛みを訴えておられた美智子皇后が虚血性
心筋梗塞の疑いで精密検査を受けたことが報道された。結
果、血管がやや細い箇所はあるものの、動脈硬化が進行し
ていることはないから今すぐの手術はいらないとの診断。

これを聞いてやまねこは仲間とともに、ほっとした。美智
子さんは明仁天皇とともに80代の今なお現役で日常の公務
をこなす傍ら、太平洋戦争の戦地パラオに日帰り(艦船内の
宿泊)で念願の参拝を果たし、戦争で命を失ったすべての人
々の冥福を祈られた。

それだけでなく、美智子皇后は「日本国憲法」の価値を再
認識することにおいて、誰よりも熱心なひとりであること
表明された。平成2579歳の皇后誕生日のご発言である。

そこでは、憲法をめぐっての論議がなされていること、「
五日市憲法草案」が素晴らしいものであることを語られた。

原文からの引用しよう。
5月の憲法記念日をはさみ,今年は憲法をめぐり,例年に
増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。
主に新聞紙上でこうした論議に触れながら,かつて,あき
る野市の五日市を訪れた時,郷土館で見せて頂いた「五日
市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。明
治憲法の公布(明治22年)に先立ち,地域の小学校の教員,
地主や農民が,寄り合い,討議を重ねて書き上げた民間の
憲法草案で,基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教
育を受ける義務,法の下の平等,更に言論の自由,信教の
自由など,204条が書かれており,地方自治権等についても
記されています。当時これに類する民間の憲法草案が,日
本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きました
が,近代日本の黎明期に生きた人々の,政治参加への強い
意欲や,自国の未来にかけた熱い願いに触れ,深い感銘を
覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で,市
井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものと
して,世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います」。
「平成25年、皇后陛下お誕生日に際して:(宮内庁HP

「五日市憲法草案」とは、明治初年、明治憲法交付に先立
って作られた「私擬憲法」のひとつ。1968年、色川大吉氏
によって東京都西多摩郡五日市町(現あきる野市)の深沢
家土蔵から発見された。

皇后の言葉にあるように、「基本的人権の尊重、教育の自
由の保障、及び教育を受ける義務、法の下の平等、更に言
論の自由、信教の自由」が語られ、現「日本国憲法」との
共通性が指摘されている。言い換えれば、日本国憲法をマ
ッカーサー体制の「押しつけ」と見る憲法観に真っ向から対立
するものである。

「お言葉」から2年後の戦後70年の今年、安倍政権は集団的
自衛権行使を憲法解釈で可能にするための安保法案を束に
して上程審議強行採決。多数の憲法学者が「違憲」と批判
するなか、「改憲」の手続きを省略して「平和憲法」を骨抜き
にしようとしている。

▲もの心ついてこの方、戦後の天皇に対して親しみの感情
を抱いたことは一度もないやまねこが、どうして美智子皇
后の言動に共感を抱くようになったのか、その経過をお伝
しなくてはならない。

女性週刊誌がまき散らす「軽井沢神話」も「マイホーム的
皇室像」も「いじめ報道」なども共感ではなく距離を広げ
るのに役立った期間が長かったと思う。

ところが、美智子皇后が自身の子ども時代の本との関わり
を語る場面を偶然、テレビで見た瞬間から、この考えが180
度ガラリと変化した。

1998年インドでの世界児童文学大会(IBBY)で基調講演「
美智子」の放送が教育テレビで放映された。

美智子さんは、戦争中の学童疎開先に、父上が本を運んで
くれたことがうれしかったこと、何度も大切に読んだこと。
子ども時代に愛読したフロストの詩、その原書に大学の図
書館で出会った時の驚きと喜びを語っていた。

自らの生育歴に読書歴を重ねた語りを聞いて、やまねこは
美智子という名で皇后という立場の文学者を「発見」した。
自身の読書歴をこのように語る文学者の誰を、他に知って
いるだろう? あれほど難しい立場にあって、自身の内面、
悲しみや喜びをしっかり伝え、それを私的領域にとどめる
ことなく、誰にもあてはまる「開かれた言葉」に語り直し
ている姿勢に感銘を受けた。

自身の体験を「一般法則」や「モラル」として語るのでは
ない。自身の身に一回起こったことが何であったかを人に
伝え、そのことに対して自分がどう思ったかを語る言葉。
まさしくこれこそ「文学の力」ではないか!
やまねこはこのことを感動とともに発見した。

とりわけ感銘を受けたのは、最後の一節である。

「読書は私に,悲しみや喜びにつき,思い巡らす機会を与
えてくれました。本の中には,さまざまな悲しみが描かれ
ており,私が,自分以外の人がどれほどに深くものを感じ,
どれだけ多く傷ついているかを気づかされたのは,本を読
むことによってでした。

自分とは比較にならぬ多くの苦しみ,悲しみを経ている子
供達の存在を思いますと,私は,自分の恵まれ,保護され
ていた子供時代に,なお悲しみはあったということを控え
るべきかもしれません。しかしどのような生にも悲しみは
あり,一人一人の子供の涙には,それなりの重さがありま
す。私が,自分の小さな悲しみの中で,本の中に喜びを見
出せたことは恩恵でした。本の中で人生の悲しみを知るこ
とは,自分の人生に幾ばくかの厚みを加え,他者への思い
を深めますが,本の中で,過去現在の作家の創作の源とな
った喜びに触れることは,読む者に生きる喜びを与え,失
意の時に生きようとする希望を取り戻させ,再び飛翔する
翼をととのえさせます。悲しみの多いこの世を子供が生き
続けるためには,悲しみに耐える心が養われると共に,喜
びを敏感に感じとる心,又,喜びに向かって伸びようとす
る心が養われることが大切だと思います。

そして最後にもう一つ,本への感謝をこめてつけ加えます。
読書は,人生の全てが,決して単純でないことを教えてく
れました。私たちは,複雑さに耐えて生きていかなければ
ならないということ。人と人との関係においても。国と国
との関係においても」。

子どもが読書することの意味、読書の尊さが余すところな
く書かれている。どんな生にも悲しみがあること。本によ
って人生の悲しみを知ることは人生に厚みを与えてくれる
こと。本は喜びに向かって伸びようとする心を養い、翼を
与えてくれること。中でもここに書いてある「悲しみ」は、
子ども時代の悲しみばかりとは思われなかった。

親が子どもに本を買い与える家庭、特に戦中にそれが可能
だった家庭は、きわめて少数だっただろう。ひどく恵まれ
た家庭に美智子さんは育ったのだ。けれど読書は誰にも開
かれた体験なので、「階層分断」で終わることがない。

ここには「教養」というものの意味合いが語られ、それが
どうやったら身につくのかの一例が示されているとも言え
る。

▲もうひとつ著名な「名家」出身の安倍晋三。父方も母方
も祖父の代からの政治家一家。祖父岸信介は大変な読書家
で、巣鴨拘置所にいた頃、図書室の本を片端から読み、イ
ギリスの作家ディケンズ著『デヴィド・コッパーフィール
ド』1000頁の原書を一気に読了したと『獄中日記』
に書いているそうだ。父・安倍晋太郎も読書家だったこと
が伝えられている。

問題は、安倍晋三である。
時代的にも階層的にも本など山ほど与えられたに違いない
このひとは、子ども時代何を読んで面白いと感じたのだろ
う?あるいはどんな本に興味がもてなかったのだろう?本
を読む人をどのような目で見てきたのだろう?

「読書は,人生の全てが,決して単純でないことを教えて
くれました。私たちは,複雑さに耐えて生きていかなけれ
ばならないということ。人と人との関係においても。国と
国との関係においても」。

政治的発言を禁じられた難しい立場で憲法擁護する美智子
皇后の1998年の発言は、安倍晋三首相にこそ噛み締め
てもらいたい言葉である。

▲明日正午の戦没者追悼式では、武道館の中心に立てられ
た白木の柱の前で、明仁天皇美智子皇后と安倍晋三首相が
同じ舞台に立つ。

首相の読む作文より、天皇の「お言葉」が楽しみであると、
友人が送ってきた一句、

「終戦の今こそ深き言葉かな」。



うらおもて・やまねこでした。


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