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2017年2月23日木曜日

やまねこ通信371号:ジェンダー差別撤廃が目的の団体が、どうして憲法勉強会するのよ?

@@@やまねこ通信371号@@@

ジェンダー差別撤廃が目的の団体が、どうして憲法勉強会するのよ?

ちの男女共生ネット第21回目の勉強会は「保育 問題!」だった。
1月28日(土)開催。ここでは憲法勉強会を同時開催した。10
月勉強会に引き続き二度目である。

会場では大きな反響があった。70代80代の会員からは大好評。
「次回もお願いします」との熱心な声が投げられている。
子連れのママたちは、「保育の勉強会で、憲法の話が聞けて、これ
からもっと勉強したくなった」との感想を寄せている。

ところがである。
勉強会から間もない2月3日に反省会を開いた。そこで驚いた意見
が語られた。

「どうしてちの男女共生ネットで憲法の勉強会をするのか分からな
い」。

勉強会に出たメンバーからの意見である。
勉強会の休み時間に「木村草太が改憲反対なのはいいことだ。
若くてセンスがあって・・・」こう語ったメンバーまでもが・・・
活発に思うことを語る会議は大歓迎。けれどもね・・・

▲頭が真っ白になったやまねこ。(白髪って意味じゃないよ!)
これまで5年間、いったい何をしてきたのだろう?
ジェンダー差別に異議を唱える女性団体が、どうして改憲反対を訴
える勉強会をする必要があるのか、さらに戦争の歴史、とりわけ「
八ヶ岳修錬農場」の歴史の公開を要望するのか、ゼロから語る必要
に、やまねこは迫られた。

(去年、「やまねこ通信」お休みが長かった。だからコミュニケー
ションがとれてないんでしょ!サボったツケが来たんでしょ!)

▲昨年7月24日(日)ちの男女共生ネットは阿智村の滿蒙開拓平
和記念館にバスツアーをした。茅野市のバスを利用することができ
たので、参加費は昼食込みで2000円だった。
(へえ!安かったね!)

この折、いつもの通り、勉強会資料を作成し参加者に配布した。

タイトルは「女性に選挙権がなかった大日本帝国の時代、滿蒙開拓
平和記念館で体験しよう!」。

 「まえがき」にツアーの目的を書いた。
「大日本帝国崩壊後、日本国憲法が発布された。ツアーの目的。
それは平和憲法、その基本的人権、民主主義、男女平等の精神が、
どんなに大切かを味わうこと。私たちにとり、「国」がどんなもの
か滿蒙開拓の歴史に学ぶこと。さらに戦争の痕跡を隠している見
慣れた風景を二重写しに見てゆくこと・・・」。

この勉強会は幸い好評に終わり、素晴らしい感想文を何通もいただ
いた。

この時は、「どうして滿蒙開拓なんか勉強するの?」という疑問は、
起こらなかったと思うよ。
それには前史があったからだけれど、ここでは省略します。

▲ところが憲法だと違うのかしら。
「どうして今、憲法に関心がないのよ!」
70代のやまねこが腹を立てて、事が済むわけではない。

ひとりひとりの誰それの事情はさて置き、ここで立ち止まって考え
ることにしよう。こう、やまねこは腹をくくった。

▲本題に入ります。
男女平等推進、ジェンダー差別反対の団体がどうして、「改憲」に
反対し、アジア太平洋戦争、滿蒙開拓の歴史の掘起こしを重視す
るのか?

(少し硬い話だけど、辛抱してね!お願い!)。

▲まず、憲法から。
敗戦後の1947年(昭和22年)施行された日本国憲法は、国
民主権(民主主義)、基本的人権、平和主義を基本原理としている。

この現憲法から、特に女たちにとって見逃せない箇所を取り出して
読んでゆこう。

★第一に憲法前文の「平和主義」に関する文章。下線部分である。

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、
われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わ
が国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつ
て再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに
主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な
理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に
信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、
平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しよう
と努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。わ
れらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のう
ちに生存する権利を有することを確認する
以上、11行に及んでいる。
 
この最後のパラフラフは、中学時代に初めて前文を読んだとき、やま
ねこがいたく気に入った文章でした。(余談でした。)

★ところが立場変わって、自民党改憲草案では前文は短い。
日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である
天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の
三権分立に基づいて統治される。

 我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発
展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義
の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献す
る。

 日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的
人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助
け合って国家を形成する。

 我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつ
つ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成
長させる。

 日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するた
め、ここに、この憲法を制定する。

★自民党草案では、平和に関する文章はたった1行である。
平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁
栄に貢献する」。

すでに現政権で「積極的平和主義」という表現が使われている。集
団的自衛権を説明するためであった。集団的自衛権とは安保条約下、
絶えず引き起こされる米国の戦争に請われるまま支援をすることで
ある。「諸外国との友好関係を増進」がこれにあたる。

現在、自衛隊が南スーダンに派遣され、死者がいつ出てもおかしく
ない状況である。自民党草案が実現してるかの現実が起こっている。

★戦争に対しての姿勢が、前文だけを見ても、日本国憲法と比べ、
自民党草案が真逆の態勢であることがわかる。

第二章は「戦争の放棄」である。
ところが自民党草案では「安全保障」のタイトル、さらに「国防軍」
の条項が設けられている。
以上を比較して、自民党草案は戦争を準備する憲法であり、「改憲」
にはとても賛成できない。

▲次に女たちの生き方に大きな影響を及ぼすことが危惧されている
三章「国民の権利及び義務」の第24条を読もう。

日本国憲法では、第24条、
1 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有
することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び
家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の
本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

以上であった。ここで「個人の尊厳と両性の本質的平等」が宣言され
ていた。

ところが、自民党草案では、(家族、婚姻等に関する基本原則)として
新しい条文が加えられた。
「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、
互いに助け合わねばならない」。

日本国憲法の基本的人権は「個」を単位としていたが、ここでは「
家族」の単位が条文に書き込まれた。
これを根拠に、高齢の親を子が扶養介護する義務を制度化する法律
が作りだされるかもしれない。

女たちは現在も、結婚すれば育児、独身であっても、親の介護親
族の看病などで、職業を手放すことを余儀なくされている。結果
的に老後の無年金にもつながる「女性の貧困」が深刻である。
男性に比べて就職事情が悪い中、やまねこの友人にも、このような
ケースが見受けられる。

男女平等が現憲法下でも実現しない中、「家族の助け合い」が憲法
に盛り込まれたら、戦前の家父長制に逆戻りではないか。

日本国憲法の作成に当たったGHQの一員で、5歳か15歳まで日本で
育ったベアテ・シロタさんは語ったという。

戦前の憲法では、女は「結婚も財産も居住権も戸主の支配のもと、
本当に無権利の状態に置かれていたことを知った。日本の女性の現
状をなんとかしたいと尽力した」。

女性の生涯を左右する基本的人権が、自民党草案では危険に晒される。
こんな憲法に「改憲」されたら、女たちの暮らしも生涯も、たまっ
たもんじゃない。

改憲の動きが歴然とする現在、男女平等の推進を目的とするちの男
女共生ネットとしては、傍観するわけにはゆかないのです!

(お疲れ様でした!)

今晩はひとまず、この辺で。

うらおもて・やまねこでした。

PS:( )内のお喋りは、兎角モノローグに陥りがちなやまねこの語り
を批判し相対化する第二キャラです。

名前を募集いたしますので、ご応募くださいますようにお願いします。

複数の応募がある場合は、やまねこが気に入ったものを選ばせていただ
きます。
採用の場合、お礼に代えて図書券をお送りいたします。

2017年2月20日月曜日

やまねこ通信370号:春一番の富山から、猪谷平湯安房トンネル、楽しみの後にツケ を支払う

@@@やまねこ通信370号@@@

春一番の富山から、猪谷平湯安房トンネル、楽しみの後にツケ
を支払う

頭の中を風が吹いている。
富山から茅野に戻った。
長距離ドライブの後は、アタマとカラダが宙ぶらりんになる。
茫然としている。

二日前の富山は朝から強風が舞っていた。空は曇天。時折ふる
雨は横なぐりである。
春一番とテレビが告げた。

片山津温泉のリゾートホテルで3泊、富山に戻って恭子さんの
家で2泊。
「あなた、何時に出るの?」
「10時には・・・」
朝食を終えお茶を飲んでいた。

車に積む荷物を玄関にまとめる。車での旅は荷物がどんどん増
える。トランクを開けようとしてリモートキーをクリック。ド
アが開かない。変だな。幾度もためす。
電池が切れたのかもしれない。こんな時に限って・・・
近所のローソンまで歩けばなんとかなるだろう。

こう思って奥に声をかけた。
「ボタン電池***3Vがきれたらしいの」
「あるかもしれない」
あった。同じ種類の電池が見つかった。ありがたい。

細いドライバーでリモコンキーを開きボタン電池を交換した。
さあ、門の外に停めた車のところまで行ってキーを押すが、車
が反応しない。

そうだ、直に開ける鍵があったのだ。ドアの鍵穴に差し込んで
回すとガタっと音がしてドアが開く。
シートに腰を下ろし、ブレーキを踏みエンジンキーを回すが・・・
エンジンがかからない。ハンドルを左右にギシギシ回して目を
覚まさせようと試みても、ダメだ!

SUZUKIの修理工場が付近にないかとスマホに相談してようやく
気づいた。
そうだ、JAFというものがあったのだ。
そうか、JAFに連絡すればいいのだ。ようやく気づいて電話する。
さいわい恭子さんのお宅は古くからの居住。住所と電話番号です
ぐに場所を了解してもらう。

大船に乗った気分。待つこと25分。
「最後に、こんなとは思いもよりませんでしたが。でも、もう大
丈夫ですよ」

するうち玄関に物音が。
JAFのおにいさんの登場である。

テキパキ動くJAFマン。車の扉を開き、ボンネットを開ける。
バッテリー切れだった。

ドライバー歴27年のやまねこ。初歩的ミスのバッテリー切れ
をずっと前一度だけしたことがある。
ああ、恥ずかしい。昨夕、スーパーに買い物に行った後、スモ
ールランプを消し忘れたと思う。
夜ならありえない失敗だ。

JAFマンの忠告で、30分間エンジンをかけたままにして、また
お茶に。
「山の中で突然止まるより、よほど良かった!」
(^O^)(^O^)

戦中戦後の時代の、限りない物語をかわしたこの5泊6日の合
宿が、ただ楽しいばかりで終わるわけがない。うっすら不安が
あった。どこでツケを払うことになるのだろう。
こう思うことが、やまねこの日常である。

車に荷物を積み込んで、もう一回お茶を飲んだ時に気づいた。
ああ、これで帳尻が合ったのかもしれない。普段のバランスが
回復した。

▲強風の富山から茅野に向かう道は二通りである。
松本までの三角形の2辺を高速で走るルート。高速北陸道の富
山インターから、魚津黒部を過ぎて新潟県に入る。

市振、能生を過ぎて大火の後の糸魚川を通り直江津に至る道で
ある。今は上越ジャンクションとの名で呼ばれ、そこから内陸に
向かう。越後高田を経由する豪雪地帯。このあたりは高速がまだ
片側通行。

信濃町、大町、長野を通り、ひたすら松本に向かい諏訪インター
で下りる道。やまねこの棲家から4時間ほど掛かる。

北陸道は日本海に面し、海風が直に吹き付ける。親不知あたり
では、高速道路が海側に突き出している。往(ゆき)の道はこ
の経路を通った。交通が少なく、空は明るく快適な道すじだった。

「猪谷は雪が1mなんですって。北陸道を通ってね!」恭子さん
が電話で伝えた。
ところが子不知を過ぎてから、高速の事故のため全面通行止めに
なり、親不知の手前で一般道に降りることを余儀なくされた。

雪の残る国道を、とろりとろりトラックに前後をはさまれながら
移動した。久しぶりに冬らしい道路の感触を味わいながらのドラ
イブ。立山インターから再度高速に乗り富山インターで降りた。

帰り道は、富山県をひたすら南下した。岐阜との県境の猪谷まで
市の中心部から約1時間である。岐阜に入り、平湯安房トンネル
を通って松本に出る道は、両側が山を切り開いた崖、あるいは片
側が水をたたえて緑色をしたダムが控えている道である。

気温が7度。この国道471号線は風がさほど強くない。けれど、
山を削った斜面に積もった雪が、いつずり落ちるのか気が気では
ない。前方に雪の塊が落ちている。急に気温が上がる日は雪崩の
警告が出る日である。

安房トンネルから先も、両側にはたっぷりの雪が残っていた。
富山から3時間半。4時半には茅野に到着したのでした。


うらおもて・やまねこでした。


2017年2月14日火曜日

やまねこ通信369号:防火訓練と町内会、「だまされていた」人々、伊丹万作「戦争責任者の問題」

@@@やまねこ通信369号@@@
防火訓練と町内会、「だまされていた」人々、伊丹万作「戦争責任者の問題」

目下、石川県の片山津温泉のリゾートホテルに滞在中である。
温泉に逗留する習慣はほとんどないやまねこだが。
12歳当時、富山大空襲に遭遇し、その体験を小説に描いた
「恭子さん」に同行し、子ども時代の話を聴いている。

やまねこより一回り年長。教員を退職後、好奇心に任せて外
国や国内の旅行に精を出した恭子さん。夫の死後は友人を誘
ったりひとりで出かけたりする傍ら、小説を書いている。

戦争中に子ども時代を過ごした。空襲の訓練を町内会が指示
した。回覧板で連絡が来る。17年に父上が死亡。兄がふた
り出征した恭子さんの家族。母上は57歳だった。

空襲の訓練に出るのは19歳の姉さんの役割だった。大阪の
造兵廠でタイピストをしていたが危険になったので富山に戻
りパルプ工場に勤務した。男性が兵隊に取られる中、女たち
は勤労が義務。家で「花嫁修業」などは許されない時代だった。

3つ年上の姉さんは女学校から勤労動員。女学校1年生の恭
子さんも、週一日製薬会社廣貫堂の袋貼りをした。

19歳の姉さんは町内会の指示に従がって防空演習に出る。
ある時、体調がすぐれず休んだ。すると町内会から催促が来た。
訓練に出ることは言うまでもなく、国民の義務だった。

防空壕にはいる訓練は小学生から受けた。運動場の周囲に防
空壕が幾つも造ってあった。穴を堀り木材の柱を組んで上に土
をかぶせる。中で立ち上がることもできた。
授業中にサイレンが鳴ると、そこに駆け込むことになっていた。

どんな訓練だったのだろう。火たたきを一家に一個設置するこ
とが義務だった。2mくらいの縄で作る。それを水に浸して火
を消し止める。それにバケツリレーだった。こんなもので爆弾
に対抗せよというのだ。まことにバカバカしい話で聴くうちに
腹が立ってくる。

これまで映画やテレビで見たり本で読んだりしてきたはずである。
けれど実際にひとりの人物の体験談を聞いて、初めてリアルな
物語として立ち上がる思いがする。
こうして戦争中の話題に耳を傾けながら、時折パソコンを覗き
込むやまねこの日々。

▲孫崎享氏のメルマガが到着する。ほぼ連日メールで送信され
る。本日の孫崎メルマガは興味深い記事をもたらした。
伊丹万作氏のエッセー「戦争責任者の問題」である。

富山の戦争中の暮らし、町内会の防空演習の話に腹を立てるう
ち、誠にタイムリーにも、伊丹万作の「戦争責任者の問題」が
到来する。
町内会、隣組の圧力、学校の圧力、その人々が戦後、「だまさ
れていた」と語ったこと。恭子さんに読んでお聞かせした。

孫崎メルマガは、朝のうちにFacebookに掲載した。やまね
こ通信の読者は必ずしもFacebookの読者ではない。
やまねこ通信への投稿が滞っている。滞りを溶解しなくてはな
らない。

以下は、孫崎享メルマガです。
安倍氏の訪米について、ワシントン・ポストは、「トラン
プ大統領との個人的な結びつきを強めようとする安倍首相の
強い決意は他の国の首脳とは対照的」と報道。米国タイム誌
「日本の首相はトランプ大統領のハートへの道を示した。
Flattery(お世辞、へつらい、おだて)」と報じ、日テレが
「日本側は大成功だったと評価している。一方、アメリ
カ国内では厳しい見方も出ている。アメリカメディアからは、
こんなに大統領におべっかを使う首脳はみたことがない
という声が出ている。」と報じた。

しかし、日本では「大成功」と報じられている。
どうしてだろうかと考える。

その時、理解を助けてくれるのは、伊丹万作氏の「戦争責任
者の問題」である。

一部省略の上、下記に紹介する。
*******************************

多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみ
な口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲で
はおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。

 
だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはる
かに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」
の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけで
はなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間
には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというよう
なことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が
夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと
思う。

 
 このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の
愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警
防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自
発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわ
かることである。

 
 少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、
そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたか
ということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるの
は、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であ
り、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便
局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、
あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的
な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、
あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味
するのであろうか。

 
 ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間の範囲
を最少限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。

 もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数
の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそ
れによつてだまされたものの責任が解消するであろうか。

 
 だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条
件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よ
く顔を洗い直さなければならぬ。

 
 私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一
つの悪である」ことを主張したいのである。

 
 だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、
半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。

 
 だますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされ
るものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、
戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方
にあるものと考えるほかはないのである。

 
 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという
事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだま
されるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的
な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民
全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体
なのである。

 
このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も
鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の
基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくそ
の本質を等しくするものである。

 
 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を
支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものであ
る。

 それは少なくとも個人の尊厳の冒涜ぼうとく、すなわち自我
の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の
欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわ
ち被支配階級全体に対する不忠である。

 
我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しか
しいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚に
のみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反
省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われる
ときはないであろう。

 
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、
一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる
態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を
感ぜざるを得ない。

 
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそ
らく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに
別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。

 
(『映画春秋』創刊号・昭和二十一年八月)



うらおもて・やまねこでした。



2017年2月11日土曜日

やまねこ通信368号:ベルホヤンスクではないけど、明日は「闇黒こそ宝」の富山に

@@@やまねこ通信368号@@@

ベルホヤンスクではないけど、明日は「闇黒こそ宝」の富山に

今朝は氷点下10℃とベランダの温度計が告げている。
標高1050m八ヶ岳西麓の朝7時。

「どんなとこに住んでるの?」
こんな会話をするとき、やまねこはまずもって棲家の土地の
標高を告げる。

昨年は久しぶりの高校同期会、それに小学校の14年ぶりの
クラス会を2度した。
こんな日程に引っ掛けながら、生まれ育った土地富山に赴く
こと4回ばかりだった昨年。

「どれくらい寒いがいね?」
「ベランダに置いた温度計、氷点下12度くらいだよ。朝外
に出ると、耳がピーンとするの。でもそのほか何てことない
よ」。

「帯広もそんな感じだったな」。
銀行勤務で若い頃赴任した土地のことを語るみきおくん。

「ベルホヤンスク・・・」
ていいちろうくんがつぶやいた。

小学校でならったかな。世界で最低の気温を記録した土地。
念のためWikipediaを開く。毎日なんどお世話になるだろう。

ベルホヤンスク:
ロシア連邦極東のサハ共和国、内陸盆地の町。
町の名は、ヴェルフ(上流)とヤナ川に由来し、「ヤナ川の
上流の町」を意味する。

別のサイトをついつい開く。世界最寒の地はひとつではない
とのこと。

オイミャコンは1926126日に-71.2℃を記録して北
半球では最も低い気温を記録している。この測定法には議
論がありすべての機関が認めているわけではない。
ベルホヤンスクは観測史上最低気温は1885年と1892年に観
測された氷点下67.8度でオイミャコンの記録を認めていな
いアメリカ気象庁はこれを採用して北半球の最低気温記録と
している。

へえ~、オイミャンコという所があるのか。
いずれにしても、ベルホヤンスクは氷点下67.8度にいたる
土地。

氷点下15度止まりのやまねこの棲家など、足元にも及ばな
い。

なんと極寒を体験するため、ベルホヤンスクへのツアーを募
集してるんだ。

▲ベルホヤンスクにツアーしたいとは思わないが。
明日、富山に向かう予定。西日本北陸地方の雪がひどいとの
予報が出ている中、いささかの不安を抱え。

生まれ育った土地の四季折々の気候を再体験をすること。
数年前まで、富山の土地は、やまねこにとって「闇黒の地」
だった。小学校の時代は、「闇黒の時間」だった。
小学校の級友のことを思い出すこともなかった。というより、
開くのが怖くて封印をしていた。

ところが封印を解いてみたところ、闇黒の時間のはずが宝の山

「現し世は夢、夜の夢こそまこと」
あ、江戸川乱歩だった。

「闇黒こそ宝物」とやまねこはそれ以来、みなすように。
ユング心理学が語り散らしたイメージだけどもね・・・

「いつごろ気づいたの?」
若い友人が尋ねる。
「ここでだけ、答えを教えてあげよう!」
(勿体ぶって、もお!)

答えはね、浦島太郎の物語に隠されているのだ。竜宮土産の
玉手箱を太郎が開く。「開いてはなりませぬ」との贈主乙姫
さまの禁止に逆らって。

神話、おとぎ話のタブー「べからず」は、「しなさい」のお勧
めの逆説的表現。
どれも、「苦難と認識」が一体となり瞬時に訪れる、アイロニー
に満ちた瞬間を得るためなのだ。

浦島太郎が玉手箱を開く。すると白い煙が立ち上り、あっとい
う間に、太郎は白髪のお爺さんになってしまいました。
浦島太郎の物語はこれで終わり。浦島太郎が何を認識したのか。
それは皆さんの宿題、宿題。
(また~、教師ぶりが鼻につくよ!)

やまねこの物語はこの裏返しである。闇黒の時間からの便り
が送られてきた。おそるおそるタイムカプセルの蓋を開いた。
すると、そこでは幼年時代の子どもたちがスキップして跳ね
回っている一面に広がるひろい野原が見える。このことに気
づいたとき、やまねこの髪はすでに白髪とはいかぬまでも、
白黒混ざり合ったもじゃもじゃヘアだったのであります。
これでおしまい。浦島太郎との差を読み取ってくださいね。

▲「富山大空襲を語り伝える会」でお目にかかった女性と
語り合う予定。大空襲の下を逃げ惑った経験を小説にし、掲
載誌『ペン』を1月はじめに送ってくださった、やまねこと
同じ名前の恭子さん。

お住まい職業などを伺うと、やまねこの育ったトポスと糸を
織りなすかのように混ざり合っていることが判明。
4泊ばかりの物語の合宿をする予定なのであります。
明日の天候はどうかな~

今回から、( )の中でヤジを飛ばすセリフが入っています。
これはやまねこより10歳ばかり年下の批判的な女子の感想。
なんて名前のキャラにしようか、目下思案中。



うらおもて・やまねこでした。