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2017年5月13日土曜日

やまねこ通信382号:憲法って面白い。「好き、嫌い」 「変える、変えない」の前に読んでみようね!

@@@やまねこ通信382号@@@
憲法って面白い。「好き、嫌い」
「変える、変えない」の前に、読んでおこうね!

こり:ゆうべの投稿は夜12時過ぎてたね。
   改憲派の人々に読んでもらいたいな~
やまねこ通信は、「書く事に意義」あり
かもしれないけれど。

N特・憲法70年「“平和国家”はこうして生ま
れた」(43日午後9時~9時45分)の続編。

前回に続いて本番に行こう。
▲敗戦翌年「戦争放棄の条文がどうやって生まれ
たのか?」
1946年(21年):元日、人間宣言。神格否定。
GHQは、平和に向かう日本の国を注視していた。

米国立公文書館、米陸軍撮影のアルバムを所蔵。
学習院の授業風景、初等科6年、昭仁の「平和国家
建設」書き初め写真も。

このアルバムが示すのは、「平和国家の理念が日
に広がりつつあることをアメリカは把握していた」
こと。

一方、天皇の戦争責任を追求する考えが国際社会
あった。
これを受けて、幣原首相マッカーサー訪問、3時
通訳抜きで。
幣原友人が書き残した「羽室メモ」は語る。

幣原「どうしても天皇制を維持したい。協力してくれ
   るか」
マッカーサー「一発の銃声もなく一滴の血も流さずに
   進駐できたのは、まったく天皇の力によるとこ
   ろが大きい」
幣原「戦争を放棄するということを、はっきり世界に
   声明すること。それだけが日本を信用してもら
   える唯一のほこりとなる事じゃないだろうか」。

幣原は「戦争の放棄」を提案。二人は大いに共鳴した。
幣原の提案はふたつ。天皇制の維持、戦争の放棄であ
った。

幣原の孫「天皇を守りたい。天皇は平和主義だと知っ
    ていた」。

だから幣原は「国民が子々孫々、その総意に反して戦争
の渦中に引き込まれること、がなきよう」と念じていた。
憲法改正調査会でも同じ考えの憲法学者がいた。

宮沢俊義:「潔く裸になって平和国家としてやってゆく」。

宮沢は明治憲法の軍の規定を定めた項目を全面的に削除
すべきと主張。過去の日本を滅ぼしたのは軍国主義。

すると、「軍の規定を残置すべき」との主張とぶつかる。
反対したのは国務大臣・松本烝治。法曹界の権力者。明
治憲法の改憲に消極的。反論しにくい相手だった。

▲こうして議論が進まない中、松本案を毎日新聞公開。
新聞を見たマッカーサー「極めて保守的」と驚く。

マッカーサーは憲法制定の決意を固めた。
極東委員会(米、ソ、中など11カ国)の開始が迫ってい
た。ソ、オーストラリアは天皇制に厳しい立場だった。

1946年2月3日
新憲法の原理を示す、マッカーサーノート。
憲法9条の原型、戦争の廃止。戦力の不保持、交戦権の
否認を打ち出す。

さらに自衛戦争を否定。マッカーサーはGHQ民政局に1
間で憲法を作成するように命じた。

チャールズ・ケーディスが自衛戦争の条項を削除。「自
衛権はどの国も所持。攻撃されたら自分で守る権利を否
定するのは非現実的だと思った」。
そうして「武力による威嚇または武力の行使は永久に放
棄する」を加えた。これにより侵略戦争を明確に否定し
た。

GHQ草案2月19日成立。多くの人権規定が盛り込まれ、
天皇は象徴。

ケーディス「マッカーサー元帥は、天皇制に対する連合
国の批判に耐え切れなくなるかもしれない。しかし我々
の草案の基本原則を受け入れれば天皇の身は安泰になる
であろう。

逆に日本政府が拒否すれば、マッカーサー元帥はこの草
案を日本国民に公表し、国民投票にかけることを決意さ
れました」。

この結果、日本政府はGHQ草案を承認。
条文の検討が行われ政府による政府による改革草案が進
められることに。

4月戦後初の総選挙:吉田茂首相就任。
衆議院での審議が始まろうとしていた。

▲これまでのまとめ:
GHQ草案をもとに、帝国憲法改正案が作られた。
第9条のもとになった文。「戦争の放棄」はGHQ
によって決められた。
ケーディス「武力による威嚇又は武力の行使は」を追加。
国連憲章からの引用である。

9条「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を
誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇
又は武力の行使は、国際扮装を解決する手段としては、
永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。

▲ところが、GHQ草案には、「日本国民は、正義と秩序を
基調とする国際平和を誠実に希求し」との文言はなかっ
た。どうして書き加えられたのか?

衆議院の「憲法小委員会」で、国会議員が1ヶ月熱い議論。
7月25日。出入りが厳しい秘密会。
各政党から法律専門家の14人の議員が参加。
この議論の中身は、戦後50年間封印されていた。

日本人の手で多くの条文が追加、修正されたことが明ら
かに。第25条、生存権、26条義務教育中学まで延長、
9条に「平和を愛好する」が追加。
日本社会党の鈴木義男(後に司法大臣)が提案。日本進
歩党、犬養健も「戦争はいかんとの言葉を」との発言。

鈴木義男はヨーロッパとアメリカに留学経験あり、第一
次大戦を経験。国際連盟の設立。国際協調の思想の体現
者だった。

しかし帰国後の日本は軍国主義に向かっていた。
東北帝国大学教授だった鈴木は「軍事教練は殺人訓練で
ある」として反対。教授を辞職し弁護士になり治安維持
法に問われた人々を弁護するように。

1931年満州事変。国際連盟脱退。
再度の世界大戦。太平洋戦争では、日本人だけで310
万人が犠牲に。

戦後鈴木義男は国会議員となる。
「第二次世界大戦の反省から国際連合ができた新しい平
和維持の構想の中に、9条を積極的に位置づけてゆく。
日本人自身の問題として、戦争を二度と繰り返さない制
度を作らないといけない」。
(孫の由井大三郎語る)。

「戦争はイヤだ」との消極的反論ではない。積極的に平
和を提案しようとの鈴木義男の提案を「憲法問題委員会」
芦田均委員長が受けとめる。
芦田は外交官出身、リベラルな政治家として知られていた。

▲「外務省の資料」を芦田は取り上げる。
外務省は憲法の修正がどんな国際的影響を及ぼすかを考察
し、注意を伝えた。
「国際法規は憲法と共に尊重するように」。
条約局長萩原徹が資料作成した資料だった。
国際連盟脱退の日本外交を「ドンキホーテ式外交」とみな
し日本の伝統的外交を破壊したと考えた。

ナレーション「新日本は国際秩序の中にのみ存在しうる。
外務省の萩原は新しい憲法で、日本を国際秩序の中に位置
づけたいと考えていました」。

▲結果、「条約、国際放棄、これを誠実に遵守する」。98
条の第二項が追加される。
「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これ
を誠実に遵守することを必要とする」。

芦田委員長がこれを9条の修正に生かそうとする。各党の
委員が争うように提案。森戸辰男も。

芦田のもとに「平和維持のために努力する」「恒久平和の
愛好者として・・」など各党から条文の提案が次々。これ
をまとめて日本国憲法の「平和主義」が誕生した。

歴史学者、古関彰一:
政府も国会議員も、「しようがないから戦争やめようでは
なく、積極的な意味をいれたい。そこではみんな一致した」

▲まとめ:こうして9条が誕生した。
第9条:「冒頭の条文は衆議院の委員会で決めた。鈴木義
男、外務省の提案、14人の国会議員が党派を超えて議論
の末に生み出したことが新たな資料から明らかになった。

戦後、国際連合へと歩き始めた世界の動きを見据え、日本
が積極的に平和を担おうとする考えから生れたもの。

こうして誕生した平和国家、そこには先の大戦への反省の
念が込められていた。

昭和21年11月3日憲法公布。
14人の国会議員の党派を超えた議論。日本が積極的に平
和を作る。多数の死者を出した先の戦争への反省の念がこ
もっている。

鈴木義男『新憲法読本』
「憲法の一大特徴は、平和主義、国際協調主義を根本とし
ている。今後、われわれは国を立て直すことになったので
あって、これは世界の憲法史上、画期的なものである」

敗戦の焼け跡から平和国家として歩み始めた日本。 
日本国憲法は今年施行から70年を迎える。

これで「NHK特集憲法70年「“平和国家”はこうして生
まれた」(43日午後9時~9時45分)の書き下ろし
紹介を終わります。

▲この番組で日本国憲法の成立過程を丁寧に見てゆくと、
GHQの一週間」の前にも後にも、憲法の柱と文言作成に、
多数の日本人が加わったことがわかるよね。

「押付け憲法論」が、どれほど、歴史に対する無知から生
まれたものかがハッキリする。
同時に、国会開会の「天皇の勅語」がもっと早く公開され
たらよかったと思う。

むしろ「改憲」を促す勢力が内閣の15/17を占めるように
なったことが、憲法研究を促してるかもしれない。

いずれにしても、昭和天皇裕仁の役割が大きかったことが、
一層明らかになった。『天皇実録』公開の成果だよね。

この番組が明らかにした事実を踏まえて、「改憲派」の発
言が、今後どう変化するんだろうと思うよ!

ところが、とんでもない方向に目下、進んでいるのだ・・・
次回は「日本国憲法70年の潮流―その時 人々は――
(47年5月3日放送)を紹介します。

こり:憲法についての関心が高まるといいね。

こりちゃん、その通りだよ。そのこととに尽きるんだ。
自分が知らないものに対して、「好き」も「嫌い」もない。
「変える」も「変えない」もないもんね!


こりでした。(長くてm(_ _)m
うらおもて・やまねこでした。





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