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2017年5月17日水曜日

やまねこ通信383号:憲法この70年、「生きづらい」社会を変えるには「改憲」が必要?! トンデモ発言の若者たち・・・

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憲法この70年、「生きづらい」社会を変えるには「改憲」が必要?! トンデモ発言の若者たち・・・


憲法制定後この70年、憲法は分岐点に立っている。
こうして始まるN特「憲法70年の潮流――その時、
人々は――」(1753日放送)。番組は「平和
憲法実現派」と「改憲派」のふたつの立場に視点
を定めて憲法の70年間を描いています。

注目に値するのは、70年80年代の豊かな時代
には鳴りを潜めていた「改憲」論が、2000年
湾岸戦争への多国籍軍支援を巡って語られるよう
になったこと。
さらに、安倍政権の後楯「日本会議」の「改憲」
運動、若者の取り込みの影響と見られる現象が登
場していることです。

驚くなかれ!今日の社会のひずみが、憲法「改正」
ですべて消失するかのように、語る若者たちもいま
す。「憲法改正」がさながら、「世直し」でもある
かのように。

▲国民主権、基本的人権の尊重、戦争の放棄(平和
主義)を謳った憲法は、戦後、どのように議論され
てきたのか?箇条書きで追跡してゆこう。

こり:走り読みしてくださいね。

憲法は施行直後から改正論議が行われ、中曽根康弘
が主導。GHQ占領下で成立したことを問題視。「自主
憲法を作れ」。天皇制の下の国民共同体を主張。

1950年:朝鮮戦争:改正必要47%。 反対17
    戦力を持たぬことの不安が理由。
1955年:自民党結党。党是「現行憲法の自主的改正」。
岸信介、憲法調査会を作り憲法の再検討。

憲法9条に対して「理想ではなく空想。平和と幸福を
守る意思がない」との批判も。
改憲支持者は旧軍人、神社関係者など戦前の有力者た
ちだった。

▲「護憲派」は江田五月氏(元参議院議長、社会党民
進党)の語り。戦中派の江田氏は語ります。
「憲法を守りたい。戦前の教育勅語を知っていた。命
は国のためではなく、ひとりひとりが大切」。

憲法擁護国民連合。主婦連、新聞協会、労組、130超え
る団体が参加。地方に1万人送り込み護憲運動を全国に
展開。

憲法の理念を9条に集約する。
社会党副書記長曾我祐次。戦争を放棄、交戦権を認めな
い。「戦争体験、原爆体験。二度としてはならない」。
戦争の記憶が護憲運動につながった。

戦後56年で朝鮮戦争開始。
鈴木茂三郎:「再軍備をさせない」。
ところが9条に絞ったことで論議が硬直化した。
社会党がよりよい憲法の狙いで改憲論を党の機関紙に掲
載したことも。しかし自民党の憲法調査会で取り上げら
れた。社会党のぶれが改憲論者から批判され社会党はそ
の後撤回。9条=自衛隊の違憲、非武装中立とする。

1960年安保闘争。30万人国会包囲し岸内閣総辞職。9条
だけが焦点になり議論が衰退。国民の中の論議が乏しく
なった。
江田氏:「理想の体現である憲法だったが、それが自分
のものになっていない。不毛な政治的対立の道具に」。

▲緩流:経済成長の時代:
1962年:改正必要と不要は拮抗。時代は経済成長最優先。
75年から調査なし。
1968年:GNP世界2位「東洋の奇跡」。「改正」を言葉に
するだけで、倉石大農相がクビ。「豊かな時代」。

1970年:三島事件。改正を掲げ、自衛隊に決起を呼び
かけ。「日本を守るとは、天皇を中心とする・・・」そ
の後、割腹自殺。人々は冷静だった。

「日本会議」の発生。明治憲法擁護  
三島事件に強く共鳴した若者たち「日本青年協議会」。
新左翼に対抗。2000年代、改憲運動全国展開「日本会議」
の幹部に。機関誌「祖国と青年」。「昭和の志士たらねば
ならない」。椛島有三ら。
「日本会議」政策委員:百地章:「三島が代弁してくれた。
継いでゆきたい。明治憲法が日本にふさわしい。現行憲法
破棄をめざす」。
梶山和泰「支持者が少数だった。支持者は発言しなかった。
9条が広く浸透していた」。
1975年:自民党本部に1500人「憲法破棄」運動。しかし自
民党から非難され破棄を取り下げる。

▲自民党は:「自主憲法は時代遅れ」とみなす。
1975年憲法改正の機運なし。9条の理念が浸透。
河野洋平「自民党の改憲党是取り下げの議論も。国連で認
められている。もっとやるべきことが他にある」。「自主
憲法は時代遅れ」。

1982:改憲派の中曽根総理誕生。国民の声「右翼は嫌だ」。
中曽根が改憲に言及するか注目を浴びた。2017年中曽根発言
「改憲の重要性は国民の心の中にはあった。国民がまだ躊躇
していた」。
1992:18年ぶりに改憲調査:「必要ない」が「必要ある」
を上回っていた。

▲対流の発生。
湾岸戦争勃発。イラクがクウェート侵攻。自衛隊海外派兵が
話題に。参加しないでいることに批判。
改憲調査:93年:「必要ある」が増大し拮抗。
PKOに初参加。自衛隊の海外活動に肯定的な意見が増大。
「自衛隊の存在は大切」。
「国際社会に参加するには改憲が必要」との議論が高まり、
9条を議論するタブーが消える。
 
▲米国の日本に対する思惑、国務省秘密文書が明るみに。
「湾岸危機は、日本が自衛以外の責任を一切果たさなくて
いいのかと問うている。米国の国益のために日本社会の不
安を利用する。そうすれば日本政府から軍事的支援を引き
出せる可能性がある」。

9条の制約がある中「財政だけでなく、人的支援をせよ」
と国際社会。(ここで国際社会というのは、西側米国中心
の多国籍軍のことである)。
しかし「日本市民の間では、平和憲法や、軍事活動には参
加しないことを肯定する声が強い。」
 
国際社会からの要請:国連のガリ事務総長は重装備でのPK
O参加を各国に求めた。当時の河野洋平官房長官はこれを断
る。ガリは憲法改正を促す。
宮澤首相「できるだけの貢献をする。けれど憲法の規定は越
えられない。日本があの戦後、国を立て直してここまできた。
そこには9条、不戦の誓いがあった。多くの国の信頼を勝ち
得ている」。
山崎拓(憲法改正派)「国民は9条改正を望まない」。

▲激流、2000年~現在。
改憲派が増大する。
2002年 改憲必要58%、必要ない23%。「時代が変わって対
応できない」が改憲必要の8割。

2001同時多発テロ、イラク戦争。非正規雇用の増大。格差貧
困表面化、家族をめぐる問題、イジメ、虐待が多発するよう
になり、30代、20代の現役世代が、改憲の必要を感じる。
20052010も同様に、改憲必要が上回る。

なぜ、若い世代に?
「憲法トークライブ」に出席した若者たち:
「ネットで知識を得ていると、職場、家庭とは違和感があり、
改憲の考えに変化。旧態依然ではなくしたい」
「地震などがある。(日本人は)何も考えていなさすぎる」

★「日本会議」が若い世代の考えに合わせ拡大:自民党をか
つて糾弾したメンバー。椛島有三事務総長。4万人余、250
支部。「天皇陛下万歳」と叫ぶ人々。
その指南書『新憲法のすすめ』は「国家の基盤は家族。国家
あっての人権」を主張。

「日本会議」:百地:「国家は権力ではなく共同体」。メン
バーは「改憲」署名活動をしている。

若い参加者:「生きづらさ」の解消のため「改憲」が必要。
「生活を立て直すため憲法改正を」。

仏書御念会教団は日本会議に所属。:「日本を立て直す」。
「家族の大切さを知らない子どもたちが増えている。日本の
良さを伝えず知らないままに子どもが育つ。憲法を変えるこ
とできっかけに」。「改憲できっかけを」。「生活を守るた
めに国家が強くあって欲しい」。保育園の園長に勧められて
出席。「日本が良い国に・・・」。

▲一方、若者の新しい動きが2015年に始まった。
社会の行き詰まりは「憲法が理念を実現しない政治が問題だ!
憲法は個人を縛るものではなく、国家権力を縛るもの」。
「立憲主義を大切に」とシールズ。
「今の憲法を実現して欲しい。25条が生活を守るのだから」。

9条改憲反対が、賛成の2倍に逆転。
2017年:改憲43% 必要なし34% 
9条 25% 必要なし57%

この70年、社会は大きく変貌し憲法は分岐点に。
保岡興治(自民党改憲推進本部長):「民主主義は定着、し
かし日本の伝統文化を失っていいか?」

民進党:江田五月。「憲法を生かすことが大切。日本の民主
主義の脆弱性。現実はこんなに惨めなんだ。憲法を現実にせ
よ」。(了)


▲番組の後に。
安倍首相が支援団体「日本会議」の集会にビデオレターを出
す。さらに読売新聞インタビューで、改憲を初めて語った。
自衛隊を9条の3項に盛り込むというもの。

国会論議を軽視。国会での野党質問に対し、「読売新聞を熟
読してください」と答弁し、非難を受けている。

自民党の憲法調査会委員長船田元も、党内では語られたこと
のない自衛隊加憲。首相はもっと慎重であってほしいとブロ
グで批判。

自民党内でも安倍首相は批判の的、求心力を喪失。安倍首相
が「改憲」を叫ぶたび、「改憲」反対の人々が増大すると言
われている。

こり:長いブログになりました。皆さんお疲れさま。けれど、
   どんな経過をたどってきたのか、やはり押さえておき
    たいもんね。

若者たちの「生きづらさ」がどこから生まれてくるのか。
解決するには現在の憲法をしっかり実現すればいいこと。
だから「改憲」は必要ではないこと。
こんなことを、語ってゆきたいと思います。


こりでした。
うらおもて・やまねこでした。


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